新聞・雑誌等の音楽評論や当時の文献に基づき19世紀末から20世紀初頭にかけてのフランス(特にパリ)における音楽事情と、プルーストによる音楽聴取・受容と関連づけることを目的として、最終年度にはプルーストと「昔日の音楽」を主題として研究を進めた。 第三共和政の時代には、中世来の音楽史の知識を重視するスコラ・カントルムや、プルーストの親友でもあったレーナルド・アーンにより古楽の復活に大きく貢献した。またプルーストがエッセーに記録しているポリニャック大公妃のサロンにおいてもまた、新しい音楽とともに昔の音楽が積極的に演奏された。『失われた時を求めて』の草稿においても古い家系を誇るシャルリュス男爵とヴァイオリン奏者モレルがバッハのソナタを演奏するなど古楽復活が反映している。 さらには「パリの呼び声」と呼ばれる有名な挿話において、中世のグレゴリオ聖歌からドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』への至る音楽の歴史風景が喚起される。その中でドビュッシーと18世紀の作曲家ラモーが関係づけられていることは注目に値する。20世紀初頭には、伝統を重視するスコラ・カントルム関係者と新しい音楽の創造をめざすドビュッシー信奉者とが対立していたという背景をあることを勘案すると、プルーストの小説においてドビュッシーとラモーとの関係づけは、両陣営の対立の止揚という意味が認められよう。同挿話においてラモーへの言及の個所でリュリのオペラ『アルミード』の台詞の引用があることが問題であったが、18世紀においてルソーとラモーの間で展開して「ブフォン論争」においてアルミードの独白場面が議論の対象となっていたことを考慮するなら、ラモーが擁護したリュリのオペラの台詞をプルーストが引用したと考えることができる。プルーストの小説を音楽文化史の流れの中で読み解くことの可能性を開いた意義は大きい。
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