古代から伝わるキリスト教の行動原理としての博愛主義は、人類のためにキリストが死んだという物語を基礎に据えています。しかしこの思想は、〈神がキリストの死を要求する〉という加虐性と〈大勢の利益のために一人が犠牲となる〉というスケープゴート的構造ゆえに、現代ではしばしば批判の対象となっている。その結果として、キリスト教の人道活動の正当性、さらには他者との協働による人道活動の可能性が疑問視されている。本研究は、本来この思想が加虐性とスケープゴート的構造から遠くへだたっていることを説明し、現代の人道活動の行動原理がいかに表現されるべきかという議論に方向性を定めた。
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