研究課題/領域番号 |
17K02629
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研究機関 | 椙山女学園大学 |
研究代表者 |
長谷川 淳基 椙山女学園大学, 人間関係学部, 教授 (40198718)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | ローベルト・ムージル / ムージルの新資料 / プラーガー・プレッセ / 『特性のない男』 / ムージルのエッセイ |
研究実績の概要 |
交付申請書記載の本研究の目的は、1)ムージルによる演劇批評以外の批評(社会文化批評、書評や展覧会レビュー等)並びにエッセイのすべてについて「特性」の有無を考察し、その結果をすでに分析を済ませている演劇批評に関する研究結果と合わせて総合的に検討すること。2)「特性」の観点で、彼の批評・エッセイ全般と小説『特性のない男』との内的な関係性を考察すること、すなわち『特性のない男』の1920年代の成立過程について考察すること、である。 また、平成29,30年度の研究実施計画では「資料の閲覧と収集を行い、それらについて分析・研究を行う。資料に関しては、オリジナル資料の利用を原則とする。ムージルの批評・エッセイについては新資料が出て来る可能性は高い」との見通しの下に実行した研究活動が見通し通りの成果を上げたので、平成31年度も前年度までの活動を継続することとし、その結果、見込み通りに成果が出た。概要は以下の通りである。 確認できた新資料は1)ムージルのエッセイ1本 "Kitsch und Kunst"、2)間接的資料としてプラーガー・プレッセ紙の編集長アルネ・ラウリンと女優イーダ・ローラントの間の「通信」4本である。ムージル研究家カール・コリーノから「非常に重要な発見」であるとの評価を得た。 この他に論文2本を発表した。1)ローベルト・ムージルの新資料「レオナルド・ダ・ヴィンチの最初の彫刻」、2)プラーガー・プレッセ紙の時代のローベルト・ムージル。小説「トンカ」へのノヴァーリスの影響について。1)の論文では前々年度発見したムージルの新資料を報告し、2)では、ムージルにとっての作家活動とジャーナリストとして彼の意識について分析した。 平成31年度1年間の取り組みを通して、小説『特性のない男』は新生オーストリアへの期待と幻滅の意識経過の産物であるとの認識を得ることができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成29年から同31年までにプラーガープレッセの1921年から1928年までを、主としてローベルト・ムージルによる同紙への寄稿記事に注目しながら通覧した。この作業過程で、ムージルの1921年当初の意図・期待が頓挫し、実現不可能になっていく経緯が理解できた。この「頓挫し、実現不可能になっていく」過程は、小説『特性のない男』の成立過程に重なる。『特性のない男』の核をなす時代認識・展望が覆され、裏切られ続ける中で「特性のない男」を形象化し続ける困難さが、この小説の完成を妨げた主因である。彼のエッセイ・批評に確認できる「特性」すなわち党派性と、『特性のない男』の無党派性の関係は「特性のある」批評・エッセイを書いた時代に小説『特性のない男』は本格的にスタートし、その批評・エッセイが「特性」を失くしていく過程で書き継がれていく、という事情について、理解できた。 同紙に対するムージルの意識の変遷については、何よりも彼自身の書簡から知ることができるが、1923年頃から同紙に対しては自身に代わり妻マルタの果たす役割が増えていくこと、すなわちムージルの表面上の関わりの保持と、実際上は同紙への関心の減退が生じてくる事実を確認することができた。20年代にチェコが独立国として安定していく一方で、ドイツやオーストリアも急速に戦後復興を成し遂げていく。理念的にも、原稿料収入という現実的理由からも、彼にとり同紙の魅力は減少していく。チェコにおけるドイツ語の価値低下、ドイツ語出版物の減少、ドイツ語新聞の発行部数の伸び悩み、その結果ドイツ語の作家・ジャーナリストの需要の減少。私が前年度発掘した新資料すなわちA.ラウリンのI.ローラント宛て書簡には、その旨の記述がある。 ムージルによる同紙への表面的・虚偽的な関わりと小説『特性のない男』の進展は2層の有機的関係にあることが理解でき、研究課題の解決に展望を得た。
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今後の研究の推進方策 |
1)平成31年度発見したムージルの新資料について論文にまとめる。その際に、平成29年から31年にかけ毎年発見してきた新資料についても改めて整理し、公表する。 2)科研費研究の課題への結論を論文にまとめる。その概略は以下のように見込んでいる。これまでの取り組みにより、小説『特性のない男』は、第1次大戦後の早い時期にムージルが抱いた新生オーストリア、そして新生チェコないしは新生ヨーロッパへの理念的な期待と、その後に彼に生じる幻滅の意識。このことが、特性のない男を小説の主人公として形象化し続けることの困難さを徐々にムージルにもたらすという因果関係が理解できた。 すなわち、ムージルは1921年3月からプラーガー・プレッセ紙に「特性のある」ウィーン事情を書き送る。が。やがてそれらの記事は徐々に「特性のない」記事になって行く。諦めの感情を反映した、言うなれば冷えた記事になっていく。ムージルは文筆家として自分の2重性を意識するようになり、この間の気持ちの変化は彼の手紙にもそれとなく書かれるようになる。作家とジャーナリストの2足の草鞋を履く、という2重性ではなく、オーストリー・ハンガリー帝国の崩壊に際して噴出したマグマが冷えて、固定化すること、すなわちヨーロッパ各国を国家主義が支配する状況を体験・観察する中での産物が小説『特性のない男』である。 ムージルの「特性のある批評・エッセイ」と小説『特性のない男』は、相互的かつ有機的な関係として理解できると判断している。この判断が、この度の科研費研究の結論部分になるであろうし、論文はムージル研究に貢献することになると思う。 以上の論文2点はドイツ語で書く予定である。論文の原稿については、途切れることなくコミュニケーションを保持しているドイツ在住のムージル研究家カール・コリーノに内容について、また文体上もアドバイスを受けることになる。
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次年度使用額が生じた理由 |
2019年度(過年度)の使用額369,497円では、ヨーロッパを訪問して研究調査を行なう費用としては不足なので今年度使用予定額の300,000円と併せることにより4週間程度のヨーロッパ訪問を行なうため。 目的地はベルリン国立図書館、プラハの国立図書館ならびにストラホフ修道院付属の文学資料館、ウィーン国立図書館である。
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