本研究は、ドイツ汎愛派による教育改革を思想および社会情勢の両面で検討してきた。最終年度はその総括として、「最後の汎愛派」と称される教育家J.C.F.グーツムーツ(1759‐1839)の著作を中心的対象として考察を深めた。なおグーツムーツは、体育史の分野では学校体育のパイオニアとして評価の定まっている人物であるが、本研究は、彼の言説を18‐19世紀転換期の思想潮流において再解釈することに注力した。その結果、体育教育がほかならぬ初期近代のドイツで、すなわち市民社会と国民国家の形成が模索された時代に開発され、普及した事由が詳らかとなった。さらに汎愛派による教育改革全体の歴史的意味も、より明確に把握することができた。 グーツムーツは著書『青少年の体育』(1793)の中で、当時の、とりわけ市民階層における過保護な育児や座学一辺倒の学習を問題視し、洗練された頭脳を持つ市民の子弟こそ、頑強な身体を獲得せねばならないと主張している。その一方で、身体活動の偏重にも「野蛮」への退化として警鐘を鳴らす。彼にとって体育とは、心身の調和的発達をもたらす教育であった。この体育観は、プラトンの『国家』における教育論を彷彿とさせる。事実グーツムーツはプラトンと古代ギリシアの「ギュムナスティケー」に多くを学んだのであるが、それを換骨奪胎した。すなわち彼は――卓越した精神が優れた身体を育むというプラトンのテーゼとは逆に――身体を鍛錬すれば強く快活な精神もまた自ずと育つと説いたのである。 ドイツ汎愛派は、自然な発育と有為な市民の育成という、対立を孕む二つの要請を両立させるべく教育改革に取り組み、社会的に有用な心身こそ「自然」なものとする人間像を形作っていった。この理念を教育現場に広く浸透させる働きをしたのが、質実剛健で公共心に富む人材の育成プログラムとして構想されたグーツムーツの体育である。
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