平成29年度から平成31年度にかけて、日中両国の図書館等に所蔵される定期刊行物を確認し、日中両国において「童話」という児童向けの文芸がどのような形で始まり、それぞれに発展していったのかということを、実証的に明らかにした。 本研究を通じてまず明らかになったことは、日中両国における児童文学の最初の接触が、清末民初であるということである。上海図書館等に所蔵されている資料を確認したところ、『小孩月報』や『蒙学報』といった中国初期の児童向け刊行物の中に、少なからず日本を由来とする記事があることが確認された。中でも『蒙学報』(第七冊からは『蒙学書報』、発行元は蒙学公会という1897年に上海に設立した組織)は、日本で明治期に発行されていた博文館の『少年世界』と深い関わりを持ち、古城貞吉と松林孝純の二人がその翻訳を担当していた。 本研究を通じ、『蒙学報』に翻訳紹介された『少年世界』を由来とする文章のうち、最もまとまった形で翻訳紹介されているのが、巌谷小波の「新伊蘇普物語」であることが明らかになった。これは本研究の最大の成果であり、この研究の成果は、平成30年度に文教大学で開かれた日本児童文学学会研究大会の発表において公表した。 日中両国における児童文学がより深く関係しあうようになるのは、民国期になってからのことである。特に小川未明の童話は、民国期の中国において広く翻訳紹介され、多くの童話に影響を与えた。この件については、平成30年度、アジア児童文学大会等の発表で公表した。 平成31年度においては、上記の成果をふまえ、これをまとめるべく、最終調査を行った。9月に行った上海での調査では、宮沢賢治の中国語訳に関する資料も発見され、この件についての更なる調査を年度末に実施する予定であったが、コロナの影響もあり、調査は中断されてしまった。この件については、改めて調査し、研究成果にまとめていきたい。
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