研究実績の概要 |
本研究では、15世紀にモスクワ・ルーシで活躍したセルビア出身の著述家パホーミイ・ロゴフェート執筆の『ラドネシのセルギイ伝』に関して、パホーミイの自筆写本とルーシの修道士が作成した写本の言語を比較分析している。14世紀末から15世紀にモスクワ・ルーシでは「第二次南スラヴの影響」と呼ばれる文化現象が起こり、ロシア教会スラヴ語はこの影響を強く受けた。15世紀中葉におけるその実態に迫るのが、本研究の目的である。 本年度は、スラヴ祖語における「弱化母音ъ, ь+流音」の音結合に着目した。この音結合はスラヴ諸語間で現れ方が異なる。南スラヴ語では弱化母音が消失し、流音が音節主音となった。写本では「-ръ-, -рь-, -лъ-, -ль-」と綴られることが多い。一方、東スラヴ語では「弱化母音+流音」となり、当初中世ロシア語では「-ьр-, -ъп-, -ъл- (<*ьл), -ъл-」と綴られた。その後、弱化母音の完全母音化により「-ер-, -ор-, -ол-」と綴られることが多くなる。 しかし、15世紀には「第二次南スラヴの影響」により、ロシア教会スラヴ語で書かれた写本でも、南スラヴ語風に「流音+弱化母音」で綴ることが激増した。本研究で扱ったルーシの筆写者による写本(ロシア国立図書館(モスクワ)、三位一体セルギイ大修道院コレクション№116)でも、徹底して「流音+弱化母音」で綴られている。一方、パホーミイの自筆写本(ロシア国立図書館(サンクト・ペテルブルク)、ソフィヤ・コレクション、№1248)では、全体の傾向として写本のはじめでは南スラヴ語の綴りだったものが、東スラヴ語風の綴りに代わっていく。つまり、パホーミイはロシア教会スラヴ語の習得に努めていたが、それは第二次南スラヴの影響以前のロシア教会スラヴ語であったと推測される。その努力は当時のロシア教会スラヴ語とは相容れなかった。
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