本研究は、日本とドイツにおいて機能的には対応するが、意味的には対応するとは言えない公共サインに着目し、言語表現に認められる意味上の差異を類型化した上で、その違いの理由を探ることにある。全く異なる意味情報を提供するものを説明するためには、当該社会のコミュニケーションにおいて何が「当たり前」なのか、つまり、何が期待されているのか、その行動原則の違いと関係づける必要がある。本研究では、それぞれの社会で提供されることが期待される意味情報の違いを抽出し、日本語社会とドイツ語社会で「当たり前」とされるコミュニケーション行動の基本的な考え方、情報提供法などを明らかにした。
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