研究課題/領域番号 |
17K03044
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
吉村 貴之 東京大学, 大学院総合文化研究科, 学術研究員 (40401434)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | アルメニア / 旧ソ連 / 中東 / ナショナリズム / 共産主義 / ディアスポラ / 地域紛争 |
研究実績の概要 |
1920年代にソヴィエト・アゼルバイジャン内にアルメニア人のための自治領域「ナゴルノ・カラバフ自治州」が設定されたことが、アルメニア人社会で再び政治課題化するのが1960年代だったことは、従来の西側の研究で指摘されている。 まず、 1964年と66年にナゴルノ・カラバフ自治州の自治権や経済状態の向上を求める「アルメニア人の知識人」の嘆願書がソ連邦政府に送付された。一方で、アゼルバイジャンの歴史家ブニヤトフは、1965年に発表した著書で現代のアゼルバイジャン人はコーカサスを支配した古代アルバニア人の末裔であると主張した。アルメニアの歴史家ムナツァカニアンらは、1967年にこの地域を支配したのはアルメニア文化を保っていたアルメニア人だと、この説に反論するなど、学術論争に当時の政治的主張が反映された。 ただ、従来の研究では1970年代のアルメニア人知識人や共産党内の動きが十分で解明できていない。ナゴルノ・カラバフのアルメニア人住民には、1970年代にナゴルノ・カラバフ自治州内でアゼルバイジャン人の人口が増加し、さらに、ソヴィエト・アゼルバイジャン政府による民族語教育の強化が脅威になり始めた。これを背景に、ナゴルノ・カラバフ自治州をソヴィエト・アルメニアに移管する、ないし、ソヴィエト・アルメニアとの交流強化する政治目標が、単にアルメニア人の知識人サークル内の話だったのか、共産党内で検討されたのかが、1988年以降ナゴルノ・カラバフ自治州の帰属変更が急速に大衆運動化した背景を知るうえで重要である。実際、当時ナゴルノ・カラバフ自治州のアルメニア人共産党幹部にそうした懸念を伺わせる報告が散見される。ここから、共産党幹部が具体的に連邦政府などにどう働きかけたのかについて、文書館調査などで調査する予定だったが、新型コロナウィルスの水際対策のため、果たせなかった。次年度の課題としたい。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
新型コロナウィルス関連の水際対策で、予定していたアルメニアでの文書館調査が出来なかったうえに、ロシアのウクライナ侵攻で、本年3月に予定していたモスクワでの文献調査も見合わせたため。
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今後の研究の推進方策 |
日本の水際対策だけでなく、アルメニアの入国時の検疫も緩和されたため、昨年度予定していた調査は、今年の夏以降可能である。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナウィルスの水際対策で予定していた海外調査が実施できなかったが、次年度は少なくとも、アルメニアでの調査は可能。
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