研究課題/領域番号 |
17K03064
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
島津 毅 大阪大学, 文学研究科, 招へい研究員 (90794024)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 禅律僧 / 幼児 / 遺棄葬 / 無服之殤 / 礼記 / 一向僧沙汰 / 他界観 / 死穢 |
研究実績の概要 |
今年度は本研究の初年度である。まず中世後期の禅律僧と葬祭仏教に関わるデータの収集を開始し、一定のデータを得た。もとより本研究が狙いとするのは、いかにして仏教が近世の葬式仏教へ移行していくのか、その歴史的過程を明らかにすることである。その中世後期における葬祭仏教が成立する前提として、天皇家から一般の庶民の老若男女までが等しく葬られ、そして葬る立場として関与することが必要となる。そこで本年は、得られたデータの一部から、まず7歳以前の幼児葬法と禅律僧との関係を分析し、以下の知見を得た。これについては、平成30年度に論文として発表する予定である。 1. 八世紀から十三世紀、皇族や貴族も幼児の死に対して葬礼を催さない、当時の一般庶民と同様な遺棄葬を行っていた。これは、日本が「無服之殤」の一環として、中国から遺棄葬としての幼児葬法を受容したものであった。 2.十四世紀中頃には、葬送は禅律僧が一向に執り行われるように変化し、禅宗寺院や時宗寺院による荼毘所の経営が一般化していたが、幼児の遺体処理も同様であった。幼児も、中世後期になると一般成人と同様に禅律僧が沙汰して、荼毘にも付されて境内墓地への埋葬も行われるようになっていた。中世後期の禅律僧による葬祭仏教化は、幼児の埋葬方法にも確実に影響を及ぼしていた。 このほか著書『日本古代中世の葬送と社会』で新稿として論じた「古代中世の葬送墓制にみる遺体観と霊魂観」では、古代中世において遺族等による遺体の遺棄は、遺体を穢れた物体と考え廃棄していたのではなく、弔いとしての当時の葬送形態であったと、その一般庶民における葬送実態を明らかにした。本研究は、中世後期において葬祭が広く庶民に浸透していく過程を解明することを目的にしており、この論文もその研究の一端を成す。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度は4年間の研究計画の初年度に当たる。当初の研究計画によれば、本年度は、①禅律僧が執り行った葬送と追善仏事の事例収集を進める、②禅律僧と遺族や近親などの俗人が葬祭仏事のどの儀礼をどのように担ったのか、儀礼ごとに分けて整理し、禅律僧の葬祭仏事についてのおおよその見通しを得る、とのことであった。 このうち①史料収集では、収集すべき量が膨大であるため、まだまだ不足している。このため②禅律僧の葬祭仏事についての全体的な見通しを得るには、もう少し時間を要する。だが、禅律僧による幼児葬送への関わりが明らかとなるなど、禅律僧による葬祭仏教化の一角において重要な事実を明らかにすることが可能となった。これらの検討結果は、平成30年度に論文として公表することができる見込みである。 以上から、当初の研究計画のとおり、研究はおおむね順調に進展していると、自己評価することができる。
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今後の研究の推進方策 |
研究の進展はおおむね順調であり、当初の計画どおりに研究を進めてよい。当初の研究計画によれば、平成30年度の研究計画は、昨年度に引き続いて史料収集に努め、①禅律僧の行った葬祭仏事儀礼を整理する、②中世後期における葬祭の全容とその意義を解明し、禅律僧の位置づけを再検討する。そして、新たに③葬祭仏事の行われた場所や遺族との関係に着目した史料の収集整理を進める、の3点であった。 このうち①と③については、特に支障なく進めることができるだろう。ことに①については、葬送と女性の関係を通して一定の知見を提示できる見込みである。そのなかで今年度、特に重要となるのは②である。中世後期には列島の各地域において葬祭仏教化が進んでおり、その全容となると、今年度も引き続き史料を徹底的に収集していくことが必要となる。そのうえで、まず地域毎の分析を進めていき、それら各地域の分析結果を統合していく多面的な考究が必要となるだろう。 これらの検討結果を、平成31年度に論文として発表することが可能となるように、十分な準備が求められる。
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