昨年度までの忍性五輪塔出土の在銘骨蔵器の調査をふまえ、今年度は叡尊・忍性らが実際に行った救済事業の実態を把握すべく、諸史料を見直すと共に関連する先行研究の探索を積極的に行った。忍性五輪塔の中に分骨した人物で史料類に名前や履歴を確認できた例は少ないが、骨蔵器形状や銘文内容から彼らは南都・西大寺や鎌倉・極楽寺の弟子筋にあたる者だけでなく、多くは地方の律宗寺院で活躍した学僧が中心であると考えられた。忍性が実践した社会事業の現場において彼らの名前はほとんど確認されなかったが、それは彼らが遠方の末寺に属していたためであった。彼らは忍性が企画した大規模な施行や架橋、寺の再建などに財政的な支援をしていたと考えられ、かなり組織化されたネットワークを形成していた可能性がうかがい知れた。一方で忍性墓には尼僧の骨蔵器もあり、性や身分を超えた連携の存在も推測され、弱者救済、慈善事業はこちらの繋がりに多く支えられていたとみられる。 これまで注目されることが少なかった社会事業のネットワークについて、出土銘文を起点に検討を進めある程度の概念を獲得することができたが、いまだ不明な部分を補完すべく諸史料を引き続き精査する必要性を感じている。これまでの成果は博物館の紀要に発表する他、別途予算を獲得して成果報告を作成し、公表して行くことにしたい。
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