研究課題/領域番号 |
17K03110
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研究機関 | 鶴見大学 |
研究代表者 |
石田 千尋 鶴見大学, 文学部, 教授 (00192485)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 日蘭貿易 / オランダ船 / 脇荷貿易 / 脇荷物 / 賃借人 |
研究実績の概要 |
オランダ船が持ち渡った脇荷物の取引である脇荷貿易は、従来より、オランダ商館長以下の館員や船員の役得として一定額だけ持ち渡りが許された私貿易品の取引といわれていたが、天保6年(1835)に、オランダ商館長以下の館員や船員等の私貿易関与・参加は排除され、脇荷貿易はバタヴィア政庁によって決められた賃借人により独占的におこなわれることになった。この貿易は、政庁と賃借人との間で結ばれた契約(kontract)に基づいておこなわれていたが、翌天保7年にも、前年度同様賃借人と政庁との間で結ばれた契約に基づいておこなわれ、脇荷取引の売上額の増加をみていた。また、誂物(注文品)の取引により高率の収益が約束されるウニコールの持ち渡りに象徴されるように、賃借人の取引には前年度とは違った要素が見られるようになってきていた。 そこで、今年度の調査研究では、賃借人による脇荷貿易が天保8年・同9年にどのように継続しておこなわれたのか、オランダ側・日本側両史料を検討し、その実態を考察することであった。その結果、天保8年・同9年の脇荷貿易も、それぞれ前年の脇荷貿易を踏襲し、賃借人とバタヴィア政庁との間で結ばれた契約に原則として基づいておこなわれていたと考えられるが、天保9年の場合は、脇荷物の仕入総額が50,000グルデンを超えており、契約書第4条に反していた。さらに、賃借権料に関して、両年共に契約書で決めている35,000グルデンは支払われず、脇荷貿易の損失額に応じて減額されていることが判明した。また、両年の脇荷物の中にも誂物(注文品)として使用するためのウニコールが持ち渡られていたことは特筆される。 今回の調査研究は、「江戸時代後期における賃借人の脇荷貿易について-天保8年(1837)・同9年(1838)を事例として-」(『鶴見大学紀要』第56号第4部、平成31年3月)として発表した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究は、江戸時代後期(1835~1854)、日蘭貿易における賃借人(pachter)と呼ばれた人物が日本でおこなった脇荷貿易と彼が持ち渡った商品(脇荷物)に焦点を絞り、当時の脇荷取引の実態(取引額・システム等)とその輸入品の実態(品目名・種類・数量・原産地等)を具体的な事例を通して解明し、国際的商品流通ならびに長崎を起点とする国内流通とその文化的影響について考察しようとする基礎的実証研究である。 平成30年度は、研究目的に基づいて考察年代を天保8年(1837)・同9年(1838)に設定し、オランダ側史料・日本側史料を検討しその実態について考察・発表することができた。天保10年(1839)以降についても、賃借人の脇荷貿易に関するオランダ側史料と日本側史料の収集・照合は計画的に進んでいる。 また、1835年~1854年の賃借人によるウニコール輸入についてもオランダ側史料・日本側史料の収集・分析を並行しておこなっている。
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今後の研究の推進方策 |
賃借人の脇荷貿易と貿易品の実態を解明するためには、その基礎作業としてオランダ側史料と日本側史料の収集・照合が必要である。平成30年度は、天保8年(1837)・同9年(1838)を事例におこない、報告することができたが、このような事例研究を今後も積み重ねていく計画であり、その準備も着々と進行しつつある。 また、当時のオランダを中心とする国際事情と日本国内の事情とが、賃借人による脇荷貿易に如何なる影響を与えていたのか、同時並行で追求していく計画である。
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次年度使用額が生じた理由 |
(理由)平成30年度の研究において、史料調査を予定していた史料館との日程調整がつかず、やむを得ず断念せざるをえなかったため。 (使用計画)平成30年度に予定していた史料調査をおこなう。(旅費に使用)
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