本研究の目的は、19世紀の中国ムスリムが、西南アジアのイスラーム改革潮流に応答しながら、イブン・アラビー(1240年没)の思想を如何に受容・展開したかを解明することにある。 前年度には、19世紀雲南の中国ムスリム学者、馬徳新(1874年没)が、イスラームの中国適応の文脈で、スーフィー教団ジャフリーヤの弱体化を狙い、西アジアのイスラーム改革思潮由来の聖者崇拝批判言説を、イブン・アラビー思想によって先鋭化したことを明らかにし、この知見をまとめた英語論文草稿を作成していた。本年度はこれに修正増補を加え、それに基づいて英語での口頭発表を行った。 また本年度は、馬徳新の聖者崇拝批判が、後代の中国ムスリムの間に如何なる展開や反応を生じたかについて検討した。そしてその知見を、日本語と英語の論文にまとめた。 当該論文では、馬徳新の論を継いだ、弟子の馬聯元(1903年没)とジャフリーヤ教団関係者との対立の様相を確認したほか、もう一人の弟子、馬安礼(1899年没)が、師の聖者崇敬論を、儒教との親和性の観点から根拠づけたことを論じた。また、ジャフリーヤ教団関係者らが、馬徳新一派に反発と歩み寄りの態度を示し、いずれの場合にも儒教や愛国主義といった非ムスリム漢人のイデオロギーを利用したと論じた。総じて、中国ムスリムによるイスラームの中国的適応の努力は、非ムスリムとの融和を促進した一方で、しばしば中国ムスリム内部の分断を助長することがあったことを明らかにした。 以上に加えて、19世紀西北部のスーフィー、ユースフ(1866年没)が著したペルシア語作品『心の歓喜』を読み進めた。結果、彼が、イブン・アラビーの思想と、それを批判した南アジアのイスラーム改革者、アフマド・スィルヒンディー(1624年没)の思想とを調停していたらしい痕跡を掴んだ。
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