研究課題/領域番号 |
17K03135
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
阿部 吉雄 九州大学, 言語文化研究院, 教授 (70231975)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | ユダヤ人難民 / 上海 |
研究実績の概要 |
平成29年度はユダヤ人の上海移住開始から第2次世界大戦開戦を経て太平洋戦争開戦にいたる時期について研究し、以下の論文として発表した。 1)論文「資料調査:上海のユダヤ人難民における猩紅熱の流行」 ユダヤ人難民の大量流入が始まって約半年後の1939年5月に難民社会に流行した猩紅熱に関して、難民たちが発行した新聞数紙の記事を中心に調査した。その結果、貧しいユダヤ人難民たちが収容されたハイムと呼ばれる集団宿泊所の密集した生活環境ゆえに感染症が急速に広まったこと、ハイム居住者たちの栄養状態が不十分で、体力や抵抗力が落ちていたことも猩紅熱流行の一因と考えられることを論証した。またこの事態に対し難民支援委員会CFA(Committee for the Assistance of European Jewish Refugees in Shanghai)が行った隔離病棟の設置や予防接種の実施の効果を当時の医療記録から明らかにした。 2)論文「資料調査:ユダヤ人難民の船舶による上海渡航」 上海のユダヤ人難民研究においてこれまで前史的・周縁的なエピソードとして扱われてきた上海への渡航を調査した。ヨーロッパから上海へ向かう船舶の到着予定を伝える1939年5月16日と1939年6月1日の難民新聞の記事を比較し、この時期に上海へ向かう船舶が通常の3~4倍に増加したことを確認した。当時の難民のインタビューやメモワールから、それらの船舶の中には定員以上の乗客を載せ、その大部分はユダヤ人だったことも明らかになった。またこれまでユダヤ人はドイツを出国する際10ライヒスマルクしか持ち出せなかったとされていたが、船内でのみ使用可能なクーポンがあったこと、逮捕される危険を冒して貴金属を手荷物で、また価値ある所持品を正式に引越し貨物として運んだユダヤ人もいて、それが上海における難民間の貧富の差をもたらしたことも証明した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
上海でユダヤ人難民が発行した新聞数紙を読み込むとともに、これまで利用できなかった新聞数紙も入手した。さらにシベリア鉄道により極東に達し、ウラジオストクから日本の敦賀に渡ったユダヤ人に関する福井新聞や朝日新聞福井県版の記事、また敦賀に上陸したユダヤ人たちに関する日本海地誌調査研究会の調査資料も入手した。これらのユダヤ人の一部はその後上海に移動したが、本研究課題の研究代表者(阿部吉雄)が作成している上海のユダヤ人難民のデータベース作成にとって重要な資料となる。
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今後の研究の推進方策 |
平成30年度は、平成29年度の研究範囲であったユダヤ人の上海移住開始から第2次世界大戦開戦を経て太平洋戦争開戦にいたる時期の研究を継続しつつ、研究範囲を太平洋戦争開戦以降の時期および1943年2月に上海地区の日本陸海軍各司令官名で出された布告による無国籍避難民の居住・就業の「指定地区」(いわゆる上海ユダヤ人ゲットー)への制限と、それがユダヤ人難民社会に与えた影響にまで広げる。 具体的にはユダヤ人難民が発行した新聞の記事を調査し、開戦や指定地区設置による難民社会の変化や上海を占領した日本軍の関与を明らかにするとともに、当時の難民たちが書いたメモワールの記述をもとに個人の生活や経験も調査し、上海のユダヤ人難民の全体像を把握する。
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次年度使用額が生じた理由 |
16,493円の次年度使用額が生じた主な理由は、購入を意図した図書や国会図書館の資料(コピー)が年度末までに入手不可能だったことによる。 平成30年度はそれらの図書を改めて購入し、資料を入手することにより、次年度使用額を早期に使用するとともに、翌年度分として請求した助成金を確実に年度内に使えるよう研究活動を早め早めに行いたい。
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