第2次世界大戦を含む約10年間(1938~1949年)、中国の上海租界には中欧・東欧系ユダヤ人のコミュニティが存在した。それはナチスドイツの迫害を逃れ、またドイツ軍の侵攻に追われて上海に移住した約1万7000人の難民たちである。言語、気候、衛生環境、社会経済システム、文化的習慣などがヨーロッパと全く異なる上海において、彼らは悪化し続ける物質的・経済的状態に耐えながら戦争終結まで生き抜かねばならなかった。本研究は、戦争の進展に伴う状況の変化に上海のユダヤ人難民社会がどのように対応したかを明らかにした。 研究の初年度(2017年度)においては、1)上海のユダヤ人難民の大部分が利用したヨーロッパからの海路について、2)上海到着直後の1939年に難民コミュニティを襲った猩紅熱の流行について研究した。 研究の第2年度(2018年度)においては、1)太平洋戦争と無国籍避難民(ユダヤ人難民)指定地域の設定により難民たちの生活が急激に困窮した1943年~1944年に発生した火災の被災者たちへのコミュニティ全体からの支援について、2)同じ時期に実施された冬期貧民救済事業について調査した。 研究の最終年度(2019年度)においては、1)終戦直前のアメリカ軍による難民指定地域の誤爆におけるコミュニティの対応について、2)「災害・戦争を契機とした専門家の関与と被災者に関する研究」という共同研究の枠内で、上海やハルビンのユダヤ人難民への日本の対応を委ねられた専門家たちについて研究した。 最終年度および研究期間全体を通じて実施した研究により、上海のユダヤ人難民コミュニティは自治組織として様々な危機に対応し、それらの経験により対応能力を高めて行ったことが明らかになった。
|