研究課題
大英図書館にて,19世紀中期ミャンマーの植民地行政を統括したアーサー・フェイヤーが,最初の近代的『ビルマ史』を描くに際して使用した一次史料や,彼の残したメモの調査をおこない,近代ミャンマー史学の基礎となった用語法の形成過程を検討した。その結果,修史がミャンマー在来の「歴史」叙述であるヤーザウィン(王統記)やタマイン(縁起),アイェードポン(武功記)から,近代の国民国家史へ移行する過程を明らかにすることができた。それまでのヤーザウィンや地方のタマインは,仏教伝来以来,多少の伝説をふくみつつも既存の「史料」を比較検討しつつ,歴代どのような王(領主)が支配してきたか,そして彼らがどのような功徳を積んだか,そしてどのような抗争にかかわったかなどを描くことにより,世の常ならざる姿やはかなさを示すための,いわば「仏教書」としての性格を有するもので,現実社会における事象相互の因果関係や,「時代の流れ」などを描き出す歴史書ではなかった。フェイヤーは,近代歴史学者がこれらに欠落しているとする社会経済史的文化史的叙述こそしなかったが,「ハンターワディー王統記」や「ラカイン国武功記」をつかって,「モン人の歴史」や「ラカイン人の歴史」を描き出していった。このように,フェイヤーが「ビルマ人の歴史History of the Burma Race」,「モン人の歴史」,「ラカイン人の歴史」という観点を導入したことにより,ミャンマー全体史はこれら諸民族による抗争の歴史として描かれ,後の歴史家もこれを受け継ぎ,過去は民族を知るための歴史として語られるようになっていく。その結果,王国時代においては単に「王統記」や「武功記」等として書かれた文書も,植民地期以降は「モン王統記」や「ラカイン王統記」「ダンニャワーディー武功記」などの表題をつけて,翻刻・出版されるようになる。
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