マラヤやインドネシアの独立は、従来各国ごとに、独立後の主導権を握ったナショナリストの視角から叙述されてきたが、言論空間では活発な議論がなされており、野党の立場から越境的な国家構想を示した側に焦点を当てることで、脱植民地化には複線的な相互作用が含まれることを明らかにした。 1950、1960年代におけるイスラムやマレー・インドネシア語を通じた国境を越えるネットワークの存在は、その後の1970年代以降のマレーシアやインドネシアの「イスラム化」の底流を明らかにすることにつながる。 植民地近代性と越境的なネットワークが連動しながら展開される島嶼部東南アジア史に新たな視角を提示したと考えられる。
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