研究実績の概要 |
本研究は、19世紀前半の東独・ブランデンブルクの市民社会的交流関係を、農村学校教員会議と、農業協会の活動を中心に検討している。本年も過去2年間の研究に引き続き、一次史料となる文書館収蔵文書の収集を実施した。特に以下の成果があった。令和元年9月9から13日までの間、 ドイツポツダム市「ブランデンブルク州立中央文書館」で資料番号(BLHA, Rep.2A Gen828)を中心に農村学校教員会議関連の史料を収集した後に、9月16日から20日までベルリン市「枢密プロイセン文化財団文書館」において、ポツダム教員養成学校関連資料(資料番号GtAPK, IHA Re.76, 89)を収集した。 18世紀には教員養成学校は、敬虔主義や博愛主義の影響を受けて、啓蒙的な貴族や聖職者たちのリーダーシップで各地に小規模に設立されていた。しかし1810年前後に。プロイセン内務省管轄のブランデンブルク学校局は、各地の聖職者を通じて、領地を越え農村学校教員会議を創設させ、教員の自己啓発を進めるとともに、学校教師の養成を国家が関与しながら、進めることを決意し、1816年にポツダム市に養成学校が生まれた。昨年までの農村学校教員会議の分析に基づき、本年はこの教員養成学校の設立の経緯を検討したが、教員養成学校は、国家の誘導ばかりではなく、教員会議からの運動を受けて設立されたものであることを明らかにした。 また枢密プロイセン文化財団文書館では、1840年代の農業協会関連の史料について補充調査(GtAPK, IHA 164)も行った。特に郡レベルで設立された農業協会の出版物を収集し、これに対する農村住民の参加状況を調査した。農村学校教員会議の運動では、オーデル地方が中心のひとつであったが、農業協会活動においても、オーデル地方の農民は、貴族やブルジョア経営者とは別に、独自の協会を創設していたことがわかった。
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