19世紀のロシア帝国における民族誌学によるフィールドワーク調査の概要について、ロシア地理学会・民族誌学部会およびロシア考古学会などによる文献史料を中心に調査し、とくに「セクト」と呼ばれた非公認の非伝統的宗派、「異教」と呼ばれたキリスト教以前の土着信仰に関する言説を調査・分析した結果、帝国政府の多宗派公認体制とは別の次元、つまりヨーロッパの知的共同体としてのアカデミズムの枠内で帝国住民の非公認の信仰状態が文献およびフィールドワーク調査によって言語化されていたことが明らかになった。このことは、アカデミズムの知的エリートが、従来もっぱらキリスト教の枠内で「神」と呼ばれてきた「超越的なもの」の社会的・文化的な存在様式を、特定の信仰の立場から距離をおいて「宗教」ないし「信仰」の次元として実証(主義)的に位置づけて学知化しようとした19世紀後半以降の思想潮流と関連していることを意味している。その際、具体的な民族誌学的フォールドワーク調査の担い手が次のような複数のコースを経て形成されたことが明らかになった。第1に、国民啓蒙大臣ウヴァーロフによる「異族人」を対象とした初等・中等教育機関の国費による整備の結果、この教育機関のカリキュラムに適応することができた元「異族人」のアカデミックな知的エリートが養成され、これらの知的エリートが学者・官僚・医師などの専門職として出身地または地方に赴任するなかで自己ないし異他者の宗教文化を言語化したこと。第2に、デカブリストを先駆者としてその後の反政府運動の政治犯がシベリア等に流刑にされるなかで、自らのアカデミックな知的文化と同時代の実証主義的精神を背景に、帝国内の「未知の」宗教文化を言語化することが自らの愛郷心の具体的表現となっていたこと。第3に、この前2者の人脈を活用して各学会の学術的調査隊や民族誌学研究者のフィールドワーク調査が組織されたことである。
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