研究課題/領域番号 |
17K03170
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研究機関 | 名古屋大学 |
研究代表者 |
佐藤 彰一 名古屋大学, 高等研究院, 名誉教授 (80131126)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | エトノス生成 / 起源伝承 / ライン川 / エルベ川 / カエサル / ゲルマニア / 属州化 / トイトブルクの森 |
研究実績の概要 |
本研究課題「フランク人におけるエトノス生成:起源伝承とクロノロジーを視座として」は、そもそも「ゲルマン人」とは何者かという歴史学にとおての根源的な問いかけを含む、時間的射程の長い課題である。「ゲルマン人」は古代ギリシア人にとって未知の存在であった。後のゲルマン人の定住領域とされたライン川とエルベ川の間に住む人々を、古代ギリシア人はおしなべて「Keltoi」、つまり「ケルト人」と称していた。この人々を「Germani」と呼んだのはカエサル(前100~前44)であった。その理由は不明である。おそらくこの問題の鍵は、前2世紀末にローマ人を不安に陥れた「テュートン人怒り Furor Teutonici」と後代ルーカーヌスが称した、テュートン人、キンブリア人のスカンジナヴィア半島からの南下運動と関わりがあると我々は見ている。それがローマの史書に登場するのは前113年頃のことである。その半世紀後にカエサルが『ガリア戦記』を記すころには、ライン川まで進出し、ケルト人勢力を脅かしていたのである。前2世紀以前に書かれたギリシア人の記述にGermaniが知られていないのは、おそらくそのためである。本年度は、このライン川とエルベ川の間のいわゆる「ゲルマン世界」をローマ共和政末期から帝政初期にローマ権力がどのようにして征服しようとし、そしてこの計画を放棄するに至ったかを検討し、それを並行して執筆中の本研究課題の成果をまとめる著書の第3章「ローマ人のエルベ川流域への進出計画」として著した。以下はすでに執筆済みの部分の節と見出しのタイトルである。第一節 二つの世界の境界としてのライン川/第二節 ゲルマニア属州化構想へ/第三節 ウァルスの大敗北/第四節 ゲルマニクスの挫折とゲルマン軍隊王権の確執、以上がそれである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
フランク人の起源伝承で、「パンノニア」地方はその揺籃の地とされている。また古代ローマが進出したアルプス以北の土地の中で、現在のハンガリーに当たるパンノニアは西暦2世紀のマルコマンニ戦争の焦点となった土地であり、エルベ川上流やバルト海地方との接点である。本年度に実施したライン・エルベ川地帯へのローマの進出計画の調査・研究の後に、マルコマンニ戦争とパンノニアの地政学的検討を行う筈であったが、文献の入手その他の事情で遅れが出てしまった。従って、研究の進展が予めの計画からやや遅れてしまった。
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今後の研究の推進方策 |
今後の研究は、上記の項目で述べたように、マルコマンニ戦争に賭けられていたものが何であったか、ローマ帝国と、ゲルマン人の視点から検討する必要がある。タキトゥスがその著作『ゲルマーニア』で、テュートン人やキンブリア人がエルベ川下口の地域やヘルゴーラント島で琥珀を採取し、これをローマ人と取引していたとしているが、その後産地がバルト海沿岸に拡大し、その取引に携わったゲルマン人に大きな商機をもたらした。帝政前期の琥珀商業は、膨大な量に達し、そのルートの最も重要な経由地が現在のヴィーンの東に位置する、ドナウ地方のカルヌントゥムであった。カルヌントゥムを念頭におきながら、マルコマンニ戦争へのゲルマン諸部族がどのように関わったか。そして後に「フランク人」の名前で呼ばれることになるゲルマン系諸部族が何らかの形で、琥珀交易に関わっていたかについて検討を重ねる予定である。そしてどのような理由で、「フランク人」なる総称のもとに結集したのかを探求する予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
年度末数ヶ月が新型インフルエンザCovid-19の流行により、自由な研究・調査活動が不可能になっため。
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