アラゴン南部における大規模な征服=入植運動は、テルエルに代表される国王ウィラの属域と、騎士団領を中心とする聖界領とに二分されるきわめて広域的な領域支配を生み出したが、それは無数の自治的な城塞集落を基礎的な単位とする典型的な封建的空間編成を具現化したものであった。だが、それは商業不在のアラゴン南部という伝統的な学説を裏書きするものではけっしてない。それら城塞集落は、域内分業にねざした所領内流通の基礎的な回路であると同時に、アラゴン南部からバレンシア北部におよぶ広域的な財貨交換ネットワークの結節点でもあったのである。
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