全米芸術基金と連邦施設管理庁のリードによって、それまで順調に成長してきたアメリカのパブリックアート政策は、1980年代後半になると大きな転機を迎える。連邦・地方政府、各自治体により公金を充てられてきたパブリックアートが果たしてどれほどの「公益性」を持っているのか、パブリックアートに市民社会が求める「公共性」とは何かをめぐり、その政策の意義が厳しく問われる時代となった。このような1980年代まで視野を広げ、本研究課題のまとめを行った。 パブリックアート政策のターニングポイントとなったのは、1981年にマンハッタンのフェデラルプラザに完成したリチャード・セラ(Richard Serra)による『傾いた弧』(Tilted Arc)の撤去事件であった。この事件は、コミッションを依頼した公共機関である連邦施設管理庁のみならず、パブリックアート政策に補助金を出す全米芸術基金をも政治的に困難な状況に陥らせる大論争へと発展した。この事件を契機にして、パブリックアート政策のアカウンタビリティは大きく問われ、その後の議論はパブリックアートに留まらず、“文化戦争”の論争にまで広がりを見せていくのである。 パブリックアート政策の転換を促す“カウンター・パート”となったのは、コミュニティでの“グラス・ルーツ”的なアーティストの表現活動であった。彼らは、次のような点を問いかけた。第一は「誰が作品の価値を判断するか」という点であり、市民に理解されない抽象モダン彫刻を公共空間に相応しい作品であると判断するのは誰かということである。第二は「市民とは誰なのか」という点であり、「サイト・スペシフィック」の概念は、そこに生活する人々の特性や多様性、さらに土地の歴史的・社会的・文化的特性を含んでいるべきであるということである。こうした点は、「公共空間の文化表現を決定する主体は誰か」という問題でもある。
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