本研究は、紀元前5世紀~3世紀の春秋戦国時代における馬匹生産体制の形成過程を遺跡出土馬骨の実践的分析を基軸に、他の考古資料、歴史学や理化学分析を融合させることで実相に迫るものである。最終年度は、実地調査で得た秦国と曾国のデータ解析を進めつつ、これまで蓄積した分析成果と比較検討した。馬歯の同位体分析を用いた子馬の養馬技術に関する議論では、炭素同位体比から、調教開始段階にC4植物摂取比率を高める給餌技術が、萌芽段階の西周時代から春秋戦国時代へと次第に成熟している現象を捉えた。調教開始前後における飼養形態の変化は、飼育地や移動を議論する酸素・ストロンチウム同位体比の変動とも相関しており、飼養段階に応じた飼育地の移動の可能性が示唆された。また、秦律や漢律にみられる軍馬のサイズ規定が戦国時代において確立し始め、古典籍や簡牘にみる厳格な馬匹生産体制の運営が裏付けられた。曾国では、給餌形態がC4植物とC3植物それぞれを主体とする大きく二群に分かれ、酸素・ストロンチウム同位体分析の結果もそれを補強するものであったことから、雑穀文化圏の黄河流域に位置する諸侯国との馬を介した交流が想定された。当該地域は、戦国時代に楚国の領域となるが、馬産地として盛んな華北・草原地帯と地理的に接触していないにも関わらず、巨大な車馬坑や天子専用の6頭立て馬車などが出現する。そこには、戦国の七雄として台頭した楚国の軍事力を支える安定的な馬匹生産体制の存在が窺える。本研究成果により、今後、他の諸侯国と比較検討する基軸データが確立したことで、春秋戦国時代の馬匹生産体制をより詳細に議論できるようになった。こうした成果は、『馬の考古学』(雄山閣出版)やシンポジウムにて発表した。このほか、現生骨格標本の三次元データベースである3D Bone Atlas Databaseの更新を進めた。
|