研究課題/領域番号 |
17K03210
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研究機関 | 徳島大学 |
研究代表者 |
中村 豊 徳島大学, 大学院社会産業理工学研究部(社会総合科学域), 教授 (30291496)
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研究分担者 |
三阪 一徳 九州大学, 韓国研究センター, 助教 (00714841)
端野 晋平 徳島大学, 埋蔵文化財調査室, 准教授 (40525458)
河原崎 貴光 徳島大学, 大学院社会産業理工学研究部(社会総合科学域), 准教授 (80351360)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 縄文 / 弥生 / 集落 / 貝塚 / 生業 / 移行期 |
研究実績の概要 |
2017年度は、縄文/弥生移行期の集落像と地域社会の復元にむけて、当該期既出資料の分析をおこない、2018年2月~3月には徳島市三谷遺跡の縄文晩期末/弥生前期初頭の発掘調査をおこなった。 既出資料の分析としては、1990~1991年に徳島市教育委員会が調査した三谷遺跡出土資料の再精査をおこなった。当該期の生業を復元する上で重要な、自然遺物の調査や、出土土器のレプリカ法をおなった。レプリカ法では、おもに凸帯文土器にともなう、イネ・アワ・キビなどの資料を追加することができた。また、自然遺物の調査では、三谷遺跡が農耕を開始しつつも、狩猟・採集を中心とする縄文時代の伝統的な生業を受け継いでいることを再度確認することができた。 また、三谷遺跡の集落像を復元するために、縄文時代中期末・後期~晩期、弥生時代前期の徳島平野周辺の集落について調査をおこなった。縄文中期末・後期~縄文晩期を通して、沖積平野の微高地上に立地する比較的小規模な集落が、1・2型式の短期間で移動を繰り返す様相を確認することができた。この様相が縄文晩期後半~弥生前期前半のどの段階まで継続するのかが課題であることが浮かび上がった。 2018年2月~3月には、徳島市三谷遺跡において、縄文/弥生移行期の集落像を復元するために、発掘調査をおこなった。1990年・1991年調査では、埋没開析谷に向かう低湿地の緩斜面に形成された貝塚が出土している。これに対応する居住域を確認する目的で、貝塚北側の微高地と目される休耕田の発掘調査をおこなった。貝塚検出面よりも、やく1~1.5m高所で、縄文/弥生移行期の土器をともなう土坑を検出することができた。貝塚と居住域をセットととする当該期の集落の位置を特定することができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2018年2月~3月におこなった発掘調査において、低地の貝塚に対応するとみられる微高地上に立地する居住域の一角を確認することができた。これが本研究を推進する上で、最大の成果といえるだろう。 西日本において、縄文/弥生移行期の集落像は、意外に明らかになっていない。弥生前期中葉以降に灌漑水田稲作経営にともなって、集落は大型化する。しかし、どの時点まで縄文後晩期依頼の小規模集落から形成される地域社会が変化していくのかは明らかではない。この点を解明していくうえで、その端緒としては比較的良好な資料を蓄積できたと考えられる。
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今後の研究の推進方策 |
次年度も発掘調査を継続し、より縄文晩期末の集落像に接近したい。 とくに当該期の生業を精査することによって、生業面での変化と集落像・地域社会の変化がどのように関わり合うのかを明らかにしていくのが重要であると考えられる。 当該期はすでに農耕を開始しているが、縄文時代以来の狩猟・漁撈・採集も健在で、その生業の選択肢として小規模経営の農耕が開始していると考えられる。まだ本格的な灌漑水田を開始していないし、アワ・キビに対しイネの生産が突出していることもない。その小規模経営畠跡が居住域縁辺部に展開している可能性が高いと考えられるので、今後の調査では可能であれば畠跡の検出をめざしたい。たとえ畠跡が検出できなくとも、集落の規模・期間を推定する好例になることは間違いないので、慎重に調査地点を決めていきたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
主な理由としては、2018年2~3月において実施した発掘調査における消化予算が意外に少なかったことによる。 発掘調査は予想以上に順調に推移した。したがって、人件費・謝金や、レンタル機器物品費がなど諸経費が、予定していたより少なくて済んだことによる。 次年度早い時期に、おもに発掘調査出土資料の整理作業にかかる諸経費と、関連資料調査に使用するよう計画している。
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