縄文時代中期末の適応形態の変化について、当初、関東東部内の小地域間の比較を計画した。一方、その変化は気候寒冷化を要因とするという従来説を検討するには、より生態系の差異が大きい日本列島内を広域的に比較することが有効である。そこで本年度は、東北から関西に及ぶ列島内6地点の比較を、各地域の研究者の協力を得て行った。その結果、集落数の増減、集落の立地と形態・規模、石器組成や貯蔵施設の変化の方向性は、広域に斉一的ではなく地域差がある事などから、寒冷化の影響による一律的な変化はなかった、との結論を得た。 また、前年度に関東東部内陸部で「谷面展開型居住」としてモデル化した中期後半の集落について、沿岸部でも同様なモデル化が可能か、餅ヶ崎遺跡を対象として検討した。その結果、比較的小規模な集団が日常的な生業単位として独立的に存在し、中期後葉の環状集落より広域に居住を展開する点は共通することを確認した。一方、海産資源の利用、石鏃の主要石材を獲得するための流通網などには、差異がみられる。 研究期間を通じ、従来の中期末の関東地方では大規模な環状集落は崩壊、遺跡数は減少して文化・社会は崩壊する、またその要因は気候の寒冷化によるという説に対し、異なる事実や新しい集落モデルを提示した。集落数には減少はみられない地域が存在する。中期末の非環状とされてきた集落を一定の共通する構成からなる居住形態としてモデル化した。その基本的な集団の単位は比較的小規模だが、日常的な生産と消費において独立的である。その単位は、必要な資源を獲得するための流通網と集団関係を構築することで成立していた。これは、遺跡群の動態、集落構成、生業にかかわる道具や施設・食料残滓など、多視点的に比較した成果である。またより広域的な列島内の比較により、中期末の適応形態の変化は列島で斉一的なものではないことを明らかにした。
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