研究実績の概要 |
本研究は「日本古代尼寺の考古学的研究」をテーマとする。『日本書紀』によると、推古32年(624)当時に僧尼が1,385人いて、そのうち尼が569人いたという。同じ記録に、当時、46カ所の寺院があったことが記載されている。この46ケ寺に相当する寺院跡は、畿内・大和を中心に確認することができる。『日本書紀』が記載する僧と尼の人数的割合からすれば、当時の寺院の4割程度が尼寺であったとも考えられる。しかし、尼寺に関わり、残された文献史料は少なく、46ケ寺のいずれが尼寺であったかを記録のみから探ることは難しい。そこで、本研究では飛鳥時代の寺院跡から尼寺を抽出することを主な目的として実施した。 尼寺を抽出するにあたっては、特に、僧寺との関係を重視し、飛鳥・斑鳩、大和の各地域、畿内その他の国々において、近接する立地にあって「僧寺と尼寺」の関係にあると想定される寺院を中心に、尼寺の抽出を試みた。そのなかで、飛鳥寺と豊浦寺の事例からみて、「僧寺と尼寺」として造営された寺院が寺院造営当初からその図式があったと考えられることを指摘した。また、その導入には、『元興寺縁起』が記す通り、百済の影響があったものと考えた。 僧寺と尼寺の距離については、おおむね1キロメートル以内に立地することを指摘した。また、「僧寺と尼寺」の関係を認定するうえで瓦の関係が重要であることを改めて確認した。しかし、『出雲国風土記』が記載する大原郡の新造院のように、同じ郷内の寺院でも壇越が異なる場合もあり、寺院建立者の比定に注意を要することを指摘した。また、尼寺に関わる史料がない場合でも、寺院跡周辺に残る地名が尼寺を抽出する際の手がかりになることを指摘した。 また、今回の研究では、大和の片岡、奈良盆地東山麓、山背、播磨、近江、伯耆の各地域で尼寺に関わる地名を確認することができた。
|