研究代表者は、敗戦後の日本各地で進駐軍駐留地周辺につくられた遊興街(売春街を含む)の形成について、都市・社会地理学的観点からアプローチしてきた。これを踏まえ本研究では、従来着眼してきた敗戦直後~占領期のタイムスパンから、遊興街の成り立ち・発展を長期的視点で検討する。時間経過とともに遊興街の景観は変わるが、役割・機能は都市空間に温存されることがあり、本研究で明確に示したい。また、売春街をともなう遊興街は身体性や男性性の観点からも考察する必要がある。従って本研究は、遊興街の形成を、政治権力(国家・自治体・組織あるいは個人など権力をもつ主体による支配や影響)とジェンダーやセクシュアリティの観点から検討することを目的とする。 本年度は、明治期後半に設置された沖之村遊廓(鹿児島市)と、大正期に3遊廓が合併した後の「五条楽園」(京都市)を対象に現地調査と資料収集を行い、遊興街の設置・配置や、発展から衰退への過程を把握した。 総じて本研究の成果は次のようになる。江戸時代の各藩は、城下町外縁部に社会的身分の低い遊女を抱える遊廓を置き、城下への往来を制限して治安を守り風紀を統制した。明治政府が組織した軍隊は、当時社会にあった「男性神話」にもとづくセクシュアリティ認識によって兵士の性欲のはけ口となる遊廓を必要とした。各府県知事は限定的に貸座敷免許地(遊廓)の営業を許可し、市街地外れに隔離された「安全」な遊興の場として機能した。敗戦直後~占領期の都市空間は、国家間の戦勝・支配/敗戦・従属という関係が表出した場であった。またそこは、進駐軍司令部、地方行政・警察、多国籍の外国人兵士たち、売春関係業者や売春女性たち(接客婦や私娼)、地元住民のように、様々な人々の差異から生じた力関係が刻まれた場でもあった。こうした関係が都市空間に映し出される過程として、売春街(遊興街)の形成を捉えることができる。
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