本研究は、冬の百人一首(「板かるた」あるいは「下の句かるた」の風習)、節分の落花生撒き、七夕のロウソクもらい、秋の観楓会などといった北海道で特徴的かつ広域的に拡がった季節行事を取り上げ、これまでの民俗学では踏み込めなかったそれらの生成と波及の力学について解明し、北海道の人びとが育んできた文化的ダイナミズムに迫る民俗論モデルを構築することを目的として実施した。 令和4年度は、節分の落花生撒きに焦点を絞り、北海道における大豆から落花生への変化の過程を、北海道と同様に落花生が撒かれている鹿児島県と熊本県での変化の過程と比較検討することとした。そのため、鹿児島県立図書館所蔵の昭和8年から昭和43年にかけての『鹿児島朝日新聞』『鹿児島新聞』『鹿児島日報』『南日本新聞』『夕刊鹿児島』、熊本県立図書館所蔵の昭和10年から昭和52年にかけての『九州新聞』『九州日日新聞』『熊本日日新聞』に記された節分関連記事の調査を行った。 とりわけ、昭和43年の『南日本新聞』には、鹿児島市ではさやつきの落花生が飛ぶように売れたこと、とりわけ「疫病神退散を願ったあと、ボリボリ食べるのに衛生的でおいしいということかららしい」「デパートの話ではダイズの二-三倍の量が売れたそうで、今やマメまきの主役は落花生に移った」とあるなど、変化の理由や販売比率にまで踏み込んだ稀な記事を発見できた。 さらに、昭和15年の『鹿児島朝日新聞』には、「本年は大豆の品切れとあつて。南京豆を代用する事になり市内の落花生屋は数日来、大変な賑ひを見せて居る。」とあるなど、昭和10年代において、節分で大豆が品切れとなった際、鹿児島の人びとはその代用として落花生を選択したという事例も確認できた。 令和4年度の成果を含め、本研究をとおして、当該節分研究については、今後の全国レベルでの展開により、より深化させていく必要性があることを明らかにした。
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