明治の初めに「三百代言」という言葉が生まれ、以来今日に至るまで弁護士などに対する非難めいた言辞として用いられてきた。しかし、その実態は必ずしも明らかではなかった。そこで本研究は、明治期に「三百代言」と呼ばれた人々の実相に迫るべく、神奈川県立公文書館寄託「飯田家文書」を活用し、松尾治太郎という代人(免許をもたない代言人)の13年間に及ぶ活動を多面的に分析した。その結果、旧来の「三百代言」という否定的なイメージとは異なり、地域の社会的ネットワークの中で一定の信頼関係を維持しながら活動していたという代人像を析出することができた。
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