研究課題/領域番号 |
17K03323
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研究機関 | 上智大学 |
研究代表者 |
松本 尚子 上智大学, 法学部, 教授 (20301864)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 裁判外紛争解決 / ドイツ / 調停 / 19世紀 / 勧解 / ミクロ史 / ADR / 司法史 |
研究実績の概要 |
本研究は、19世紀ドイツ各地に導入された地域型調停制度(勧解人)をその調停記録から分析するものである。2017年度は、勧解人記録帳を最も多く保管するマールブルク史料館に赴き、記録帳の収集にあたった。明らかにしたのは、記録帳の残存数と、またその記録帳の中にどの時代の、どの地域の調停事件が多く残されているのか、といった統計値である。事件内容についても分析を始めている。 現在までに確認できた勧解申立件数は、約22,500件(1848-1900年、70勧解人管轄区)である。勧解申立率の推移をみると、年間の千人当たり申立件数平均は、1850年代(45.7件)、1860年代(36.7件)、1870年代(28.6件)と減少していくものの、同制度を飛躍的に普及させた1879年のプロイセン勧解人令以降のプロイセン全土における申立率10.3件(1883年)に比べれば、数倍に上る高さである。とくに1850年代は、平均で毎年ほぼ20人に1人が申立てをしていた計算になる。この数値をさらに1880年代プロイセンの裁判利用率と比べると、区裁判所の民事通常訴訟率25.7件(1883年)の約2倍、督促申立率47.3件とほぼ同値であることが分かった。つまり、1850年代の同地方の調停制度は、1880年代プロイセンの民事裁判よりはるかに頻繁に利用されていたことが判明した。 記録帳の残存している地域は、現在のヘッセン州北西部に集中している。とりわけ1850~1870年代の記録帳が残されている地域の多くが、かつてのヴァルデック侯国内にあることが判明した。さらに、紛争内容は1850年のサンプル年では「請求事件」がもっとも多く、地代や薬代の支払い滞納に対して申し立てるケースが典型的であることが分かってきている。これは1880年代以降のプロイセン勧解人事件統計で侮辱事件が圧倒的に多いこととは対照的な結果である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
科研費交付初年度の2017年度は、前半を関連文献の読解と研究状況の把握にあてた。また、一次資料となる調停記録(勧解人記録帳)がドイツのどの史料館に存在しているのか、改めて各州史料館ポータルサイトで確認した。その結果、研究計画書で予定していた3館(マールブルク、ゴータおよびポツダム)すべてを回るのではなく、マールブルクに集中して史料収集をする方針を固めた。 次いで、8月から9月にかけての4週間、史料収集のためマールブルクに滞在した。すでにヘッセン州史料館ポータルサイトや、2016年に同地に数日間滞在して調査したさいの情報に基づいて、ある程度の分量があることは確認できていたが、今回のマールブルク滞在においては、予想を大幅に上回る数の勧解人記録帳が見つかった。その一つの原因は、勧解人と機能を同じくする「治安裁判所(平和の裁判所)」なる機関が同地に多く存在していたことが分かり、この治安裁判所の記録帳も含めて調査を進める方針を固めたことにある。 勧解人記録帳が予想外に多く見つかった結果の対策として、研究計画書にすでに記したように、記録帳の内容的分析(各事例の分析)方法をより合理化することにした。すなわち、当初の予定では全調停記録のうち隔年分を画像データとして保存することにしていたが、この方針を変更し、5年ごとのサンプル年を抽出して保存する作業に切り替えた。このようにして画像化した調停記録から、各事件の当事者の属性や典型的事件類型・和解率をデータ化していく作業を進めているところである。作業は予定より若干遅れているが、抽出サンプルの規模を調整しつつ続行していけば、進捗に問題はない。
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今後の研究の推進方策 |
おおむね研究計画書に記したとおりに研究を進めていく予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
史料解読補助者への謝礼支払いが年度末に発生し、当初予定より若干多い支出となった。しかしこの支出は全体に影響を与えるほどの金額では全くないので、次年度の研究遂行には問題ないものと考える。
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