本研究は、19世紀ドイツにおける地域型調停の運用実態を、残存する調停記録帳(以下、記録帳)から分析するものである。最終年度の2019年度は、昨年に続きヴァルデック侯国ニーダーヴィルドゥンゲン治安裁判所(以下、NW治裁)における記録帳を調査し,申立件数、紛争内容、和解率、当事者の社会的属性等の傾向を分析した。昨年度は1850年と1880年の調停記録をサンプルとしたが、今年度はさらに1855年(238件)、1865年(189件)、1875年(305件)の記録を比較分析した。 まず、NW治裁の利用状況について、記録帳が残る1848年から1905年まで(1856~62年の記録帳欠損期間を除く)の年別申立件数を数えた。結果、治安裁判所導入から30年間は、3回ほどアップダウンを経ながらも凡そ200件~350件の高水準を維持、1880年(75件)にはじめて低利用に転じたことが確認できた。 この動きに比例するのが申立内容の推移で、上記サンプル年では1875年まで「金銭支払い請求」が約7割を占め続けるが、1880年に32%に急落する。代わりに首位にたったのが侮辱事件(36%)ある。他方、和解率は当初10年ほど60%強であったのが1865年から40%前後の低水準に転じている。高利用が続いた「支払い請求」事件が、和解率においてはすでに1860年代から落ちていたことを示唆する数字である。 当事者の社会的属性は、最初の30年間は手工業親方や商人が多く、性別では男性が約85%を維持しており、社会的経済的強者の利用が多い傾向に変化はなかった。ただし1875年の「被告」職業内訳では「妻」や「未亡人」が最多であった。 以上の結果のうち、1880年の変化は1879年の事物管轄縮小の影響が最大の理由と考えられる。他方で和解率や性別比の推移など制度変更では説明し難い傾向もあり、その背景の解明が課題として残る。
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