研究課題/領域番号 |
17K03453
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研究機関 | 横浜国立大学 |
研究代表者 |
宮澤 俊昭 横浜国立大学, 大学院国際社会科学研究院, 教授 (30368279)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 平穏生活権 / 人格的利益 / 財産的利益 |
研究実績の概要 |
本年度は、平穏生活権の財産権的側面に着目をした研究を進めた。従来は、平穏生活権の人格権的側面を基礎として、差止めをめぐる議論が主として行われてきた。そのため、これまでの議論においては、平穏生活権の財産権的側面についての議論の集積はほとんどみられない。平穏生活権の財産権的側面についての問題が意識されるようになったのは、福島原発事故における損害賠償のあり方をめぐる議論からである。しかし、前年度に行った分析においては、下級審裁判例において、すでに平穏生活権について、人格権的側面とともに、相隣関係に関する規定を踏まえた所有権的側面を認める裁判例、および、労働組合による法人の本店周辺での街宣活動につき、法人の平穏に営業活動を営む権利を根拠とし、施設管理等の違法な侵害を認定して差止めを認めた裁判例があることが明らかとなっていた。本年度は、これらの裁判例について前年度に行った分析を基礎におき、特に民法学における議論との関連も視野に入れながら、通時的な分析・検討を行なった。この分析・検討からは、平穏生活権の人格権的側面と財産権的側面との間には、理論的連関を見出すことができた。このように平穏生活権概念の財産権的側面を、人格権的側面と理論的に連関する形で認めうることを基礎とすれば、平穏生活権の射程を、健康・生命に不確実性を伴うリスクがある場合に限定する必要がないといいうる一方で、その法的構成を明らかにすることを通じて、その射程の限界を明らかにすることが今後の課題となることが明らかとなった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究計画においては、2019年度には、学説の展開・社会情勢の変化も含めた通時的視点からの裁判例の分析を行うこととしていた。 相隣関係に関する規定を踏まえて平穏生活権の所有権的側面を認めていた裁判例については、公害問題などの生活利益をめぐる紛争に関する民法学における議論を基礎とした分析を行なった。生活利益侵害が問題となる公害の事例に関して、人格権的利益の侵害としての構成を基礎とした受忍限度論が通説化する前には、相隣関係を基礎とした議論が存在したことを基礎とした分析を行なった。この分析から、生活利益侵害の場面において、人格権的利益侵害と、相隣関係的な規定を基礎とした所有権侵害との間の理論的連関を析出できた。 法人の平穏に営業活動を営む権利等を根拠とする差止めを認めた裁判例については、それ以前から積み重ねられてきた団体行動権に基づく民事免責をめぐる下級審裁判例を基礎とした分析を行った。労働組合の団体行動として行われる組合活動については、名誉・信用毀損行為があったとしても、団体行動権に基づく民事免責の可能性が認められてきた。また、企業経営者・労務担当者個人の住居周辺での組合活動について、前述の団体行動権に基づく民事免責事由の限界を示す下級審裁判例も示されてきた。法人の事業所周辺での組合活動について平穏に事業を営む権利の侵害を基礎として差止めを認めた裁判例は、これらの裁判例の延長線上に位置づけられるものと解される。すなわち、名誉・信用毀損という人格権的利益の侵害事例において積み重ねられてきた法理が、財産的利益と位置付けうる法人の平穏に事業を営む権利の基礎となっているという理論的連関を析出できた。 以上のように、本年度においては、当初の計画通り、通時的な視点からの裁判例の分析・検討から、平穏生活権の人格権的側面と財産権的側面の理論的連関を析出することができた。
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今後の研究の推進方策 |
2020年度は、本研究全般を総括し、平穏生活権の人格権的側面と財産権的側面の理論的関連を明らかにしたうえで、その法的構成を明らかにするための研究を進める。これまでの研究を踏まえて、特に次の点に留意をして研究を進める。 福島原発事故の損害賠償に関する議論のなかで、平穏生活権については、平穏生活権は健康・生命に不確実性を伴うリスクがある場合に用いられる概念であるとして、財産的な利益を含めて平穏生活権概念を構成することに消極的な見解が示される一方で、「平穏」「生活」になじむ種々の利益、例えば居住用不動産等の財産の利用や、地域と密着した事業活動の展開なども、平穏生活権として積極的に承認する立場も示されている。これまでの本研究の成果に基づけば、福島原発事故という大規模災害が発生する以前から、すでに健康・生命に不確実性を伴うリスクがある場合に限られない場面で平穏生活権概念が用いられていたといえる。そのため福島原発事故に起因した特例的・限定的な議論としてではなく、より一般的な問題として、財産的利益を含めた平穏生活権の法的構成を論じる必要が認められる。 また、本研究の成果に基づけば、平穏生活権においては、人格権的側面と財産権的側面との間に理論的連関を見出すことができる。そのため、平穏生活権の法的構成を論じるにあたっては、人格的利益と財産的利益の連関を理論的に基礎付ける必要がある。このような理論的基礎は、現在の議論では必ずしも明らかとなっていない平穏生活権の理論的外縁を画することにもつながる。この点については、従来の議論において、人格的利益を中核とする秩序と、財産的利益を中核とする秩序をそれぞれ別に観念し、その外郭のあり方を論じる見解が示されていたことが注目される。このような従来の議論との関わりを含めて、人格的利益と財産的利益とを架橋する理論的基礎を検討する必要がある。
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次年度使用額が生じた理由 |
学務の都合により、予定していた現地調査の回数を減らすこととなったため、計画とは異なる研究費の支出となった。本年度は新型コロナの影響により、実際に現地に行くのではなく可能な限りオンラインでの調査を行うこととするため、そのための環境整備に研究費を支出する予定である。
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