研究課題/領域番号 |
17K03597
|
研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
有馬 哲夫 早稲田大学, 社会科学総合学術院, 教授 (10168023)
|
研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
|
キーワード | 原子爆弾 / 原子力エネルギー開発 / ケベック協定 / ハイドパーク覚書 / 暫定委員会 / 合同方針決定委員会 / 合同信託委員会 / ロンドン外相会議 |
研究実績の概要 |
2018年9月にアメリカ国立第2公文書館とトロント大学図書館公文書館で原子爆弾開発および原子爆弾投下決定に関する資料収集を行った。同年11月にイギリス国立公文書館で原子爆弾開発および原子爆弾投下決定に関する資料収集を行った。 アメリカ第2公文書館では、広島と長崎への原子爆弾投下後、この兵器の生産体制をどうするのか、どう配備していくのか、ソ連との軍事対立を睨みながら計画を立てていたことがわかった。同時に終戦後の1945年9月のロンドン外相会議で、原子爆弾を日本に使用して、世界にその威力を示したことをテコとしてソ連に東ヨーロッパ諸国からのソ連軍の撤退という圧力をかけたが、失敗していたことがわかった。 イギリス公文書館では、前述ロンドン会議についてのイギリス外務省の文書を閲覧、収集し、この会議における、米英ソの交渉の交渉をより詳しく知ることができた。当時イギリスは原子爆弾についてよく知るウィンストン・チャーチルからクレメント・アトリーに政権が変わり、独自の政策や方針を打ち出すというより、それまでの英米加のケベック協定、アメリカとイギリスの間の取り決め事項のフォローに追われ、まったく受け身になっていたことがわかった。その一方、チャーチル時代にカナダに技術移転した原子爆弾と原子力エネルギー(原子炉、原子力発電を含む)のノウハウと人材をイギリスに戻すことを始めていた。これと併せて、アメリカ側のマンハッタン計画に参加していたイギリス人科学者にも、本人たちの希望を聞いたうえで、帰国を促していた。 カナダのトロント大学図書館でアーカイブを閲覧し、文書を写真にとった。戦後、広島と長崎に医学関係者が調査に入り、人体への影響を調査した。その後、国家プロジェクトとして将来カナダが原子爆弾による攻撃を受けた際の被害予想、その被害にどのような医学的手段を講じるかが究されていたことがわかった。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
当初の計画以上に進展している。 原子爆弾開発、原子力エネルギー開発、原子爆弾の使用についてのアメリカとイギリスの議論(ケベック協定によって設けられた合同方針決定委員会、合同信託委員会、アメリカ側に設置された暫定委員会での)日本への使用決定に至るまでの過程をアメリカ、イギリス、カナダの公文書によって明らかにすることができた。また、アメリカ第2公文書館の公文書から、原子爆弾使用後のアメリカのこの兵器の生産計画、配備計画などを知ることができた。イギリス公文書館の資料からは、イギリス、カナダ、ソ連の動き、とくに1945年9月のロンドン外相会議での外交面でのこの4カ国の交渉の詳細をイギリス外務省の公文書から知ることができた。
|
今後の研究の推進方策 |
原子爆弾製造と原子力エネルギー開発のために英米加で結んだケベック協定が、原子爆弾投下後、どのように変化していくのか、それがこの3カ国、およびソ連の軍事的政策、外交政策にどのような変化を与えていくのか、そして、原子爆弾製造、原子力エネルギー開発(原子炉、原子力発電など)に関して、これらの国がそれぞれどのような政策をとっていき、どのような関係国との外交交渉を行うのかを明らかにしていきたい。 とくに、デンマークの科学者で原子爆弾開発に大きな役割を果たしたニールス・ボーアが考え出し、マンハッタン計画に参加していた科学者のほとんどから支持を受けていた「原子爆弾の国際管理」が関係国においてどのように議論されたのか、また発足したばかりの国際連合においてどのように議論され、扱われたのかを明らかにしたい。 また、原子力エネルギー開発が戦後ケベック協定国においてどのように始まり、発展していったのかにもできるだけ踏み込みたい。
|
次年度使用額が生じた理由 |
為替レートの変動によって航空運賃が想定以下に抑えられたため。研究課題に関連する著書、雑誌論文を執筆して時間を費やし、したため出張期間が十分取れなかったため。
|