本年度では、長いタイムスパンのなかで昭和戦前期を評価するため、明治期から昭和戦前期までの継続的な壮丁身長の伸びに関する、より詳しい分析に力を注いだ。その結果、壮丁身長の伸びは、出生年が1870年代(以下、同様)から1910年代前半までは学童期における発育量の増加、1910年代後半からは乳幼児期における発育量の増加によることを明らかにした。さらに、学童期発育量の増加には、1870年代から19世紀末までは小学校中学年(8-10歳)、それ以降は低学年(6・7歳)における発育量の増加が大きく寄与したこと、1910年代後半の乳幼児期の発育量の増加には、大正期では幼児期における増加、昭和戦前期では乳児期における増加が大きく寄与したことを明らかにした。 このような発育量の増加は栄養状態の改善によって生じると考えられるので、壮丁身長の伸びに寄与した年齢層が、時期が下るとともに低下したということは、栄養状態の改善対象が思春期スパート開始前の小学校中学年から低学年、さらに幼児、乳児へ移っていったということを意味する。検討の結果、栄養状態改善の年齢的なシフトの背景には子どもが持つ性格の変化があったと解釈された。生産財的な性格から消費財的な性格へのシフトである。家事・家業の手伝い(子どもの仕事)を期待して、小学校中・高学年に高い割合で家計内資源(食物)が配分されていた(生産財的性格)が、子どもが徐々に消費財的性格を持つようになり手伝いを期待できない小学校低学年、さらに幼児、乳児への配分が高められたと考えたのである。 近代日本の体位成長史のなかで、本研究が対象とする昭和戦前期は、乳児期の発育量が増加した時期、すなわち栄養状態の改善が大きかった時期であり、子どもの生産財的な性格が消費財的な性格に移行した時期と位置づけられた。この文脈のなかで本研究で示された仮説の妥当性が総合的に評価された。
|