研究課題/領域番号 |
17K04075
|
研究機関 | 明治大学 |
研究代表者 |
山口 不二夫 明治大学, グローバル・ビジネス研究科, 専任教授 (90245340)
|
研究分担者 |
山口 由二 大東文化大学, 経営学部, 教授 (40281597)
|
研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
|
キーワード | イギリス東インド会社 / ジャーディンマテソン商会 / カントリートレーダー / パートナーシップ / 庶民院議事録 / 阿片取引 / Magniac |
研究実績の概要 |
英東インド会社が庶民院の提出した財務データを分析した結果によると、英東インド会社では1801年からの13期は3期で営業収益でマイナスを記録する不安定な期間であったが、配当は安定的に行い、配当と金利負担の合計額は毎期70万~95万ポンド程で安定していた。営業収入営業利益率は13年間で平均7.97%、そのなかから金利・配当の支払いは7.29%で、ほとんど利益からの自己蓄積はできず、借入・社債に依存して企業の成長投資をおこなっていた。その後1815年から23年の投資利益率は10.89%であったが15%程度の配当支払い後の投資利益率があったと判断できる。総資本の配当率は9年間の平均で8.14%なので、配当支払い前の総資本利益率は優に25%を超えていたのである。商業部門の儲けで植民地部門の支出を賄っていた。 1799年から1814年までのジャーディンマテソン商会の前身の商会は4人で始まったアジアで活躍するCountry Traderでpartnership企業であったので,最初の2期は剰余金を残さないようにして損益勘定のなかで利益をpartnerに分配した。ところがMagniacが加わってからは,剰余金が計上される。当初収入は,利息,Commissions,Factoryからであった。しだいにOpium取引が増加し,1812-13年期にはFactoryを売却し,Raw Silkの取引やOpium取引が主な収入となる。とくに初期には利息でもうける仕組みだが,1808年以降は金利の支払いのほうが多い期もあった。Commissionsと資金を貸すことでの金利で儲けるビジネスから,実際にOpiumとRaw Silkの取引で儲けるビジネスに変貌した。 当時の両社を比較すると、株式会社の東インド会社のほうが公器としての側面が強く、パートナ会社のほうが利益の計算に鋭敏であった。
|