最終年度の2019年度は、1939年7月に「勤労者厚生保険制度要綱草案」として起草された公的年金が、1940年9月に「労働者年金保険制度案要綱」として立案されるまでの、厚生省保険院総務局企画課における検討状況を明らかにした。「要綱草案」から「制度案要綱」となる過程では、失業手当金の規定を削除しただけではない、「勤労者厚生保険」から「労働者年金保険」への名称にも表れた明らかな変容があり、立案意図の解明にとっては極めて重要だからである。 分析対象とした主な資料は、2018年度に引き続き、企画課長の川村が参加した民間の政策研究機関である国策研究会に関わる資料である。同資料から、企画課による「勤労者厚生保険」に関わる資料や、厚生省保険院関係者の発言を抽出し、特に適用対象をめぐる言説に着目して分析した。 企画課初の年金構想では、適用対象は、少額所得者の防貧という目的通りに「農村居住者」を含む少額所得者全般となっていた。しかし、創設が現実味を帯びると、順次適用を拡大するという方針の下で、適用対象は、保険料拠出ができる比較的大規模な工場労働者に絞り込まれていった。これにより、少額所得者の防貧であることのみならず、戦時労働政策及び戦時経済政策であることの意義もまた矮小化されていた。つまり、企画課が達成しようとしていたのは、戦時労働政策でも戦時経済政策でもなく、精緻な数理計算に裏打ちされた恒久的な公的年金の創設だったことが明らかとなった。 これらの結果について、2019年10月に開催された社会政策学会第138回大会の社会保障部会で報告した。また、その際に執筆したフルペーパーを修正した論文は、2020年10月に同学会の学会誌『社会政策』第12巻第2号おいて公表される予定となっている。
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