本研究は伊勢湾台風(1959〔昭和34〕年9月26日)の被災後、名古屋市南区弥次衛町の仮設住宅に臨時施設として敷設されたヤジエセツルメント保育所の各種実践をとりあげ、高度経済成長初期段階の社会・地域・家族の構造的変動や被災による生活基盤の破壊など、その実践の深層に位置づいていた生活のドラマへと切り込む社会史的叙述を試みた。 一年目は、研究代表者が研究ノートを作成する過程で新たに発掘した、ヤジエセツルメント保育所発行のガリ版刷り通信『レンガの子ども』や文集『レンガの子ども-母親特集号』などの一次資料を分析対象とした。後年5回版を変えて発行された単行本『レンガの子ども』には収められていない文書(特に母親たちによる記述)が数多くみられるため、同保育所実践を取り巻く当時の生活世界の輪郭を把握することができた。 二年目は、同保育所の開設・運営に関わった女性団体いずみの会会員らによる資史料を収集し、単行本の記述だけに基づいてなされた先行研究の限界を克服することに努めた。 三年目は、それまでの成果をふまえ、同保育所の保母の原田嘉美子、難波ふじ江らの保育活動を支えた思想について、東京保育問題研究会会員らとの関わりから分析をした。 延長期間では、名古屋保育問題研究会の関係者の手でまとめられた資史料の枠内で実態把握されてきた先行研究をあえて批判的に捉え、保育運動の成果として公立保育所建設がなされたという「保問研史観」による単純な図式化ではなく、女性生活運動の一事例として位置づけなおす形で、同保育所の活動や主張の意義と限界を明らかにした。
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