研究実績の概要 |
我々の知覚系はさまざまな感覚情報を手がかりに外界の構造を推定するシステムとみなせる。この際の手がかりは通常,例えば同一物体の三次元構造を推定する際にも,感覚モダリティ内・モダリティ間ともに複数種類が冗長に利用可能である。感覚情報には,それをもたらす外界のノイズ,およびそれを処理する生体のノイズが不可避的に含まれるが,知覚系はよりノイズの少ない情報を重視して複数の感覚情報を統合する。このようにして得られる最終的な知覚はより妥当でノイズの少ない外界の推定になっていると考えられる。ところでこのようなやり方で知覚が「最適に」得られた場合,知覚の主体が主観的に得る「臨場感」は高いのであろうか。ノイズの少なさ(手がかり情報の豊かさ)と臨場感(現実であるように感じられる感じ)は暗黙のうちに正相関するものと考えられてきた。一方本研究ではこの二つがむしろ逆に働くという可能性について検討した。つまり我々の知覚経験のうち,臨場感のようないわばある種の付加的な情動を伴うものは,知覚系の予測にむしろ反するものから得られるのではないか,という見方である。
この仮説は,我々が外界の確率的構造を学習し,内的にモデル化していることを前提とする。この前提を支持するものとして,筆者は,観察者自身の両眼間距離に応じて発生する両眼網膜像差の大きさの確率分布を視覚系が学習していることを示唆する実験結果を国際誌に発表した(Taya, 2023)。また,学習によって獲得された外界についての確率分布の外れ値がある種の錯視がもたらす「驚き」の源泉であるという着想を得て,この仮説についてモデル化を試みた。加えて,この仮説に基づくと,特定の錯視画像はある条件において限定的に発生する網膜像に一致すること,およびこの点において特定の錯視は一種のアナモルフォーズとみなせることを,実物体の模型を用いて検討した。
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