研究課題/領域番号 |
17K04516
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研究機関 | 北海道大学 |
研究代表者 |
山本 美穂子 北海道大学, 大学文書館, 特定専門職 (70455583)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 帝国大学 / 大学院 / 女性研究者 |
研究実績の概要 |
平成30年度は「旧制大学院への女性の進学実態とその分析」を研究課題として、「1918~1945年における帝国大学大学院への女性の進学状況」に関する資料調査を進め、法学専攻の進学者に着目して論文を発表した。 改正弁護士法(1933年公布、1936年施行)の施行前に、女性が法学を修学できた帝国大学は東北帝国大学と九州帝国大学であったことから、まず、両大学の法文学部への女性の学部学生としての進学状況を明らかにした。東北帝国大学法文学部では、1923~1945年にかけて、女子高等師範学校・女子専門学校等からの女性入学者が90名を数えた。聴講生からの本科検定入学者16名を加えるとその総数106名に達した。文科専攻者が圧倒的多数を占めたが、法科専攻者は5名いた。一方、九州帝国大学法文学部では、1925~1945年にかけて、35名の女性入学者を確認できた。英文学専攻(7名)に次いで法学・国文学専攻者が多く、各6名いた。東北帝国大学は4名、九州帝国大学は5名の女性の法学士を輩出したが、帝国大学の大学院へ進学する者はいなかった。 次に、1926~1945年における帝国大学大学院の「法文学」分野への女性の進学状況を一覧化し、進学者18名の専攻を確認した。東北帝国大学には11名、東京帝国大学には3名、九州帝国大学には4名の大学院進学者があったが、法学専攻者が見られたのは東京帝国大学大学院の2名のみであった。法学専攻の2名は韓桂琴と立石芳枝であり、中国人留学生の韓は北平大学、立石は明治大学法学部の卒業者であった。韓桂琴と立石芳枝は両者共に大学院進学の目的が学位取得のためではなく、法学(国際法、家族法)の研究ができる場を求め続けた結果であった。戦後、それぞれの母国において女性の法律家・法学者の草分けとなっており、そのキャリアパスに帝国大学大学院への進学が果たした役割は小さくなかった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成30年度は、戦前戦後期の女性のキャリアパスにおける大学院進学の位置付けを考察する前段階として、1918年より1945年までの帝国大学の大学院を対象とし、法文学分野の女性の進学状況を一覧化することが予定通りできた。 また、「法学」専攻者に着眼して、韓桂琴(東京帝国大学大学院1934~1937年在学)と、立石芳枝(東京帝国大学大学院1935~1940年在学)の2名について、大学院進学の動機や、進学を支援した人的なつながり等を考察し得た。 その他、上記2名以外の女性たちについても、回想録・追悼文・小伝等の収集を進めて、その学歴・キャリア・人的つながりに関する調査を進めた。 以上により、おおむね目的に沿って計画通りに研究が進展しているものと評価する。
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今後の研究の推進方策 |
平成31年度は、1918~1945年における帝国大学大学院に進学した女性たちを主な対象とし、戦前戦後期のキャリアパスを追跡調査して、大学院進学の位置付けを総合的に分析し、旧制大学院制度を考察する論文を作成する。 また、1953年8月4日文部省令第二十号により、旧制学部が最終卒業生を出した翌年度から6年間を経過した日まで存続すると定められた旧制大学院は、各大学で廃止年は異なるものの、1950年代後半~1960年代前半まで存続した。旧帝国大学の大学院について、1946年~廃止となるまでの資料を悉皆調査し、女性の進学状況を確認するものとする。 以上の目的から、平成31年度の資料調査先は、(1)国立国会図書館のほか、「大学院関係文書」や『大学一覧』等を有する(2)東北大学史料館、(3)東京大学文書館、(4)京都大学大学文書館、(5)九州大学大学文書館等の大学アーカイヴズに赴くこととする。
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