体罰を含めた学校罰のあり方は学校衛生論の重要な一角を占めてきた。厳格な罰が子どもの健康を害する恐れがあるためである。本年度は明治期の翻訳版学校管理法書の著者であるジョゼフ・ボールドウィン(1827-1899)の教育思想の分析を通じて、19世紀末の学校罰のあり方を検討し、学校衛生論における学校罰の位置づけを探究する手がかりを得ることを目指した。研究の主な成果は以下の通りである。 (1)ボールドウィンの教育思想は、禁止的規則と鞭に頼る「古い学校教師」からの脱却を志向することを基調としていたが、「法規も罰ももたない善人ぶった教師」は非現実的な教育姿勢として退けられ、両者の中庸に位置する「真の教師」像を提示することを目指すものであった。19世紀後半のアメリカで進行した産業化・都市化による収容児童の増大という課題に対応し得る教師像を提示することをボールドウィンは目指したと考えられる。 (2)ボールドウィンは「真の教師」像を提示するにあたって①静粛、②規則正しさ、③時間厳守、④礼儀正しさ、⑤義務、という5つの「学校コード」を柱として生徒に「遵法的な習慣」を形成することを目指した。ただし、生徒自らの努力だけで「遵法的な習慣」の形成が実現できない場合、つまり「不従順な生徒」の存在を想定していた。 (3)ボールドウィンは学校罰を議論の俎上にのせ、「不従順な生徒」に対する「教育的な治療法」として論じる治療モデルの教師・生徒関係論を展開した。しかも、この場合の治療モデルとは医者による患者の治療という意味ばかりではなく、罪人の魂の治療という意味が込められていた。 (4)ボールドウィンの教育思想のバックボーンとなっていたのは、1つは欧米の刑罰制度の改革から生じた感化教育の動向であり、もう1つはキリスト教プロテスタントの家系に生まれ育ち、自身も聖職者を志していたという知的素養であった。
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