研究課題/領域番号 |
17K04562
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研究機関 | 山形県立米沢栄養大学 |
研究代表者 |
安部 貴洋 山形県立米沢栄養大学, 健康栄養学部, 教授 (50530143)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 国分一太郎 / 児童方言詩論争 / 生活綴方 / 三上斎太郎 / 福永晶爾 / 生活教育 / 言語技術 / 北方性教育運動 |
研究実績の概要 |
当年度は、前年度考察した児童方言詩論争における国分の批判を「生活教育」という観点から論文としてまとめ学会紀要に発表した。 児童方言詩論争とは、1930年代半ばに三上齋太郎と福永晶爾との間で行われた児童詩における方言使用の是非をめぐる論争である。方言に高い価値を認め方言使用を是とする三上と、それを批判する福永の論争は雑誌『工程』誌上、そして第二回北日本国語訓導協議会の討論会で行われた。討論会の司会を務めたのが国分である。この論争は先行研究において方言の価値をめぐる論争であり、そもそも結論の出るものではなかったと捉えられている。そして、先行研究において国分は方言を批判する側に位置づけられている。だが、国分にとって問題は言語と生活の関係にあった。言語のみを問題とし、生活との関係を問わない点において三上も福永も同様の問題を抱えているというのが国分の批判である。これらのことを前年度は明らかにした。 この三上や福永に対する批判を当年度は「生活教育」という視点からまとめ、論文として学会紀要に発表した。生活教育とは、綴る前の指導であり、生活する姿勢を育てることを意味する。生活教育を論じていない点において三上も福永も共通する。そして、生活に徹する姿勢が実際に綴る表現技術へと結びつくというのが1930年代半ばの国分の生活綴方であった。生活教育を明らかにすることで1936年以降の国分の生活綴方教育批判や、この時期国分が主張した「概念くだき」「生活語」を児童方言詩論争との関連で捉えることができると考える。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
国分の生活教育を明らかにすることで児童方言詩論争から1936年以降の国分の生活綴方批判へと至る過程を理論的に連続したものとして捉えることが可能となった。このことは国分の生活綴方批判を過去の事件による国分の心情の問題として捉える解釈に新しい視点を加えるものとなる。だが、当初計画していた国分の生活綴方批判を論文としてまとめるまでには至っていない。
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今後の研究の推進方策 |
当年度明らかにした生活教育の視点から1936年以降の国分の生活綴方批判を考察し、論文としてまとめる。国分は1936年以降、生活綴方を批判して生活綴方の指導を表現技術に限定するものとして捉えようとする。国分の批判は先行研究において過去の事件にもとづく国分の心情の問題として一般的に捉えられている。もちろん、この解釈に異論はない。だが、当年度明らかにしたように生活綴方が生活教育と表現技術の関係の問題であるとき、国分の生活綴方批判は国分の生活綴方の理論的問題としてもまた捉えることができるように思える。この点を明らかにする。さらに、生活教育と言語技術の問題を「概念くだき」「生活語」との関係において考察する。生活に徹する姿勢が「概念くだき」であり、生活に徹することで生みだされる言語が「生活語」ではなかったか。これらの点を考察することが今後の課題となる。
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次年度使用額が生じた理由 |
参加を予定していた学会、研究会等が開催されなかったことや、開催されてもオンラインのため旅費を必要としなかったことによるものである。生じた次年度使用額は、主として学会や研究会参加の費用と旅費に使用する予定である。
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