本研究では、近年の教育学におけるメディア論をもとに、国分一太郎における、「現実探求としての生活綴方」の形成から生活綴方批判までの理論的変化を明らかにすることを目的に、特に北方性教育運動、児童方言詩論争、生活綴方批判における国分の言語観、生活綴方論を考察し、主に国分一太郎「教育」と「文学」研究会で報告、「紀要」に論文として発表してきた。 最終年度は、これまでの考察結果を「メディアとしての言語」[今井康雄 2010] の形成と変容という視点から再構成し、第70回全国作文教育研究大会2022年大阪大会・分科会で報告した。報告では、1930年代前半の国分が言語と生活の関係を、「調べる綴方」の実践や北方性教育運動へのかかわりを通して主観と客観を含む生活と共感的な表現、児童方言詩論争においては「学校ことば」に対する「生活ことば」として、その後は「生活探求と表現技術」の関係として論じていることを明らかにした。さらに、このような国分における生活綴方理論の変化が、子どもと教師関係の変化とともにあること、すなわち子ども自身による世界構築としての生活綴方が、共同探求者としての教師によって可能となることを明らかにしている。そして、1930年代前半に形成された国分の生活綴方における、このような言語と生活の関係が、1936年以降の国分による生活綴方批判においては、「言語と生活」関係の分離として展開されているのではないかという点を示唆した。 本研究の成果は、近年の教育学におけるメディア論をもとに、北方性教育運動における国分の理論的変化を明らかにするとともに、心情的な側面から語られることが多かった国分の生活綴方批判を理論的な問題として論じた点にある。さらに、新教育との関係を明確にすることで日本の教育史における位置づけを明確にすることができた点にある。
|