研究課題/領域番号 |
17K04563
|
研究機関 | 都留文科大学 |
研究代表者 |
佐藤 隆 都留文科大学, 教養学部, 教授 (70225960)
|
研究分担者 |
森田 道雄 放送大学, 福島学習センター, 特任教授 (40109236) [辞退]
佐貫 浩 法政大学, その他部局等, 名誉教授 (60162517)
片岡 洋子 千葉大学, 教育学部, 教授 (80226018)
|
研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
|
キーワード | 生活綴方教育 / 教育の自由 / 地域に根ざす教育 / 恵那の教育 / フレネ教育 / 教師の学び |
研究実績の概要 |
①日本の教育実践史のなかで独特の位置を占めてきた「恵那の教育」の生成と展開過程を明らかにする。とりわけ「恵那の教育」の代名詞である生活綴方教育の現代的意義と発展的展開の可能性を明らかにすることである。同時に1980 年代以降、「子どもの声を聴き取る」という「治療的実践」の萌芽ともいえる実践枠組みを創出してきたことの意義についても検討することであるが、これらについては次のような進捗状況である。 「恵那の教育」を理論的・実践的に牽引した石田和男の言説・著作を網羅した『石田和男教育著作集』(全4巻、花伝社)を刊行したことを契機として、各種学会報告、研究会で報告を行った。そのことを通じて1950年代から現代に至る「恵那の教育」の変遷を辿るとともに、「恵那の教育」が持つ現代的意義について確認することができた。 ②「恵那の教育」と地域名を冠した事例は、教育実践史上、類を見ない。こうした集団的な教育実践の生成・発展の検討を通じて、教師の協働がもたらす教育実践の質を検討する作業を進めているが、恵那教育研究所において資料探索を行い、いくつか時期区分を行いながらそれぞれの時期の「恵那の教師たち」の集団性を確認することができる発行物、諸資料を確認した。とりわけ、1966年に発足した東濃民主教育研究会の発足準備や定期的な研究会・学習会のための準備資料・レジュメ等の第1次資料を確認し、この時期の恵那の教師たちによる集団的教育実践への志向を確認することができた。 ③「恵那の教育」の現代的意義に照応する世界の教育実践・思想を比較することによってその独自性と普遍性とは何かを明らかにする作業を進めているが、フレネ教育のなかで今なお重視されている自由テキストによる表現を重視する教育実践のなかに、恵那における生活綴方教育の生活表現を互いに理解し合う取り組みとの共通性を抽出することができた。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
以下の点は昨年度から継続してる内容であるが、それらも含めて、現時点での達成度は以下の通りである。 恵那教育研究所にある、戦後初期の「恵那綴方の会」、1950年代後半「恵那教育会議」、1960年代半ば~1980年ごろまでの「東農民主教育研究会」、1970年代の「教育市民会議」1980年以降現在に至る「恵那教育研究所」などの諸資料等の整理を始めることができた。 とりわけ、東濃民主教育研究会の発足から日常的な活動に関する第1次資料を確認することを通じて、会の機関誌「みんきょうけん」の主張や、会の存続中に通常は年2回行われていた研究集会における研究動向の意味づけを確認する作業に進む段階に到達することができている。
|
今後の研究の推進方策 |
すでに記した戦後初期の「恵那綴方の会」、1950年代後半「恵那教育会議」、1960年代半ば~1980年ごろまでの「東農民主教育研究会」、1970年代の「教育市民会議」1980年以降現在に至る「恵那教育研究所」などの諸資料等を整理するとともに、それぞれの時期の恵那の教師の集団的思考の特徴を明らかにしていく。さらに恵那の教育がもっとも注目を浴びた1970年代後半の象徴的実践家となった丹羽徳子関係の諸資料を「発見」・収集することができ、今後、丹羽実践が生み出された背景について恵那の教師たちの集団的思考と関係づけながら検討を深めていく予定である。 さらに、フレネ教育やフィンランドの教育との比較研究を通じて「恵那の教育」の普遍性とその現代的意義を明らかにしていく。
|
次年度使用額が生じた理由 |
支出を多く予定していた、人件費については多くの作業を研究代表者及び分担者自身の活動を通じて節約を図った。結果として現時点で未消化となっているということが大きい。 次年度においても、基本的には同じ状況が続くと思われるが、これについての消化を見据えつつより有効な活用を合わせて行いたい。
|