令和4年度においては、まず技術官の官制成立に関わる制度や文書を解読、整理した。技術官制は明治4年に工部省に設置されたことが契機であった。後の消長の結果、1886年12月の内閣制発足と1887年4月の判任官官等俸給令において、全官庁に技術官(技師・技手)を設置できるようになった過程を明らかにした。技術官制が確立するまでは、官庁在籍の技術者は准官吏である御用掛などの不安定なポジションに置かれていたことが明らかとなった。 続いて、技術官や最低俸給額未満の判任文官の銓衡に関わる文書を解読、整理した。取得学歴と試験合格という一般的な手段ではない、銓衡による任用が導入された過程について検討した。そして銓衡任用が導入されたこれらの官吏に求められた知識技能とその水準について、具体的な履歴史料を基に検討した。 また、草創期の文官普通試験の出題に関わる文書を解読、整理した。判任文官への任用資格を付与する試験において、どのようなカテゴリーの学力が求められていたのかについて検討した。その結果、文官試験局が示した中学校卒業程度の範囲を基準とした学力モデルに従わない官庁が続出し、実際に実施された文官普通試験では各官庁の実務に則した学力モデルを定めていた実態が明らかになった。情実による任用を避けるために、試用制度を前提とした普通学に基づく試験を求めた文官試験局に対して、各官庁は即戦力となる人物を求めていたことが明確になった。 これらの研究成果は、次年度以降、学会報告や著書の形で発表していく予定である。
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