研究課題/領域番号 |
17K04572
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研究機関 | 尚絅学院大学 |
研究代表者 |
太田 健児 尚絅学院大学, 総合人間科学部, 教授 (00331281)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | ライシテ / 道徳教育論 / モラルサイエンス / 新教育運動 / ジャン・ゼイ / 統一学校運動 / エピステモロジー |
研究実績の概要 |
本研究は、(1)「第三共和制期の政教分離(ライシテ)とモラルサイエンス問題」(課題番号23531019) [2011-2014]、(2)「フランス第三共和制「後期」における制度・モラルライック・エピステモロジー問題」(課題番号26381037)[2014-2017]の研究成果に基づき、そこから出た新たな課題に取り組むものである。上記(1)では、ライシテによって排除された宗教教育に代わって、理性に基づくと同時に経験主義とも両立させた世俗的道徳教育論(ライックな道徳教育論)の確立が求められた。デュルケームの『道徳教育論』(1902-1903パリ第一大学での講義)以外にも、1881年、1882年、1886年の三つのライシテ関連法以降デュルケームの『道徳教育論』が著作刊行される1920年代前半までには多数の道徳論が輩出していた。これらには二つの系譜があり、一つは、キリスト教を否定せず、フランスの歴史・文化として扱う一般教養的な自己修養論、克己論の類いである。もう一つはデュルケームに代表されるメタ倫理学的要素をもった無神論的モラルサイエンスである。しかしそのサイエンスの部分がまだ未解明であり、さらにフランス型新教育運動、J.ゼイによる統一学校運動も加わり1940年に第三共和制は終わってしまうが、この詳細解明のため上記(2)の研究が遂行された。ここでは第三共和制期のモラルサイエンスの一貫した底流としてデュルケーム学派も含め広義のエピステモロジーという系譜の存在が判明した。一般的には「科学哲学」「科学的認識論」として自然科学を土台とした思想とみなされ易いが、これまでの故金森修(東京大学大学院教授)の研究に依拠しながら、所謂「厳密な学」として広義のエピステモロジーという問題設定に変えれば、哲学・倫理学・社会学分野にも通底するものとなり変わる点が確認された。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
今年度は、「一般教養」概念について研究を進めたが、その中からHenri Wallonの「一般教養と職業指導」(邦訳有)の骨子について報告する。国際新教育連盟での報告なので、ルソーを下敷きにした子どもの権利、児童中心主義の教育観に貫かれている。しかしロシア革命、旧ソ連の教育に夢を託すワロンは、「職業に基礎をおく教養」を理想としている。これまでの一般教養は、不平等(階級、民族、国家)の手段となっていたという。スコラ哲学以来の教会・聖職者による教養の囲い込み、よい職業につく手段としての教養、植民地主義の裏返しとしての文化相対主義の名の下で放置される無教養、以上を糾弾する。逆にそれらの対立や溝を埋める手段としての一般教養の必要性を説き、その身近な理想として旧ソ連の「一般教養と一体化した職業教育」の卓越性を賛美する。一般論として懸念されるような画一性や無個性は杞憂に過ぎず、当時としては最先端をいくアクティブラーニング(ワロンが使用したわけではない)であった点を強調している。 翻って日本の「一般教養」論あるいは「教養」論をみると、教育学分野でのオーソドックスな議論、大学教育の現状からのプラクティカルな要請に応える限りでのリベラルアーツ論、それ以外の各分野・領域での言説、社会主義的な要素が色濃く出たイデオロギー的議論など百花繚乱状態は今でも続いている。アメリカのある論文では、教養はもはやliteracyという用語で代用されることもある。再度、現在のこのような状態も考慮して一般教養概念を考察する必要性がある。
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今後の研究の推進方策 |
これまでの二つの科研費による研究から、第三共和制期の教育問題の新たな課題が二つ浮かび上がってきた。一つは第三共和制期の教育問題の議論に必要なインフラとなる第一次資料の完備である。具体的にはライシテによるエコールノルマルでの教員養成プログラム、公立小学校の数、中等教育機関の数、教員数、教員採用制度の詳細、視学官制度、学校教員配置のルール、具体的教育科目等からなる『便覧』作成の必要性である。これらは一次資料を的確に効率的に確保することによって結果が出てくる。もう一つは、中等教育まで含めて、科目専門性の議論の有無についてである。具体的には先述した「一般教養」が当時どのように定義されていたかという問題である。この「一般教養」概念と「人文系科目」との「異同の曖昧さ」が「人文系科目」への評価の低さの原因と予想されるからである。文系・理系という二元論的対立は第三共和制期において根本的対立ではなく、むしろ広義のエピステモロジーの下、一元的学問配置状態にあり、同じ「厳密な学」を目指してそれぞれ棲み分けていたと考える方が妥当なのである。それゆえ、第三共和制期における「一般教養」概念と「人文系科目」の専門性概念との解明が今回の研究課題となったわけである。それゆえ次年度は(1)教育分野に携わった学者・文化人、政府要人による「一般教養」言説のさらなる渉猟と分析。(2)第三共和制期を含む一般教養論の研究書の探索・収集・分析。(3) 第三共和制期「近辺」の一般教養論の研究書の探索と収集と分析。以上(1)~(3)の対策をとり課題を解決していく。
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