近世日本の幕藩教育制度は、江戸後期、湯島聖堂を幕府直轄化した昌平坂学問所の設立をもって確立したとされるが、実は江戸中期、五代将軍綱吉による湯島聖堂の創設を契機として、諸藩が藩校を設立し、武家社会に漢学教育が普及したことにより、実質的に形成されていた。 本研究の目的は、江戸中期に急増した藩校の設立と湯島聖堂との関連性を、湯島聖堂の廟学制の伝播を軸として解明することを通じ、漢学教育を中心に据える藩校の教育が、いかに展開されたかを明らかにすることである。本研究は、諸大名が藩士の人材養成のために湯島聖堂をモデルとして設立した諸藩校の漢学教育を考察の対象とし、国内外の文書館・図書館等を訪問し、江戸中期、湯島聖堂創設の影響を受けて設立された諸藩校の漢学教育に関する一次史料を調査し、併せて、日中両国の漢学教育関係文献を収集・分析し、文献史料・図像史料等を駆使し、武家社会における漢学教育の普及という視点から藩校教育の実態を多元的に究明するものである。 最終年度に当たる本年度は、昨年度に引き続き、江戸中期、湯島聖堂創設の影響を受けて設立された諸藩校について、それらの藩校が設立されるに至った経緯を制度的側面から明らかにするために、湯島聖堂・諸藩校の関係史料の調査収集を続けると同時に、武家社会における漢学教育の普及という視点から、江戸中期藩校漢学教育の目的・内容・方法について考察を進めて、最終的な研究成果として取りまとめ、学術論文・学会発表等を通じて国内外に広く発信した。
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