研究最終年度は第一に『児童研究』『教育学術界』『東京府教育会雑誌』における、就学期および学齢のあり方に関する議論を検索、検討した。『児童研究』『教育学術界』には、学齢および就学期の問題を取り上げた記事は発見できなかったが、『東京府教育会雑誌』第13号(1890年4月)に、男女別の学齢(男子は満7歳から、女子は満6歳から)の提案があったことを発見できた。 第二に当初の研究計画には含めていなかった、戦後教育改革期における学齢および就学時期の再検討に関する資料を収集・確認した。具体的には『教育刷新委員会・教育刷新審議会 会議録』および『教育刷新委員会総会配布資料集』、『教育刷新審議会配布資料集』の内容を確認し、戦前期に実施した二重学年制に言及しながら入学期のあり方を再検討していたことを確認した。 研究期間全体を通じて、アジア・太平洋戦前期、学齢や就学の始期および終期のあり方は、しばしば再検討の対象となっていたこと、そして戦後教育改革期にも同様の検討が行われていたことが判明した。また4月に始まる就学の始期に関しても、児童の成長・発達等に関わる科学的根拠に基づいて策定されたのではなく、アジア・太平洋戦前は行政上の便宜、戦後教育改革期も特に合理的な説明がなされたわけではなく、すでに国民の間で慣行となった4月入学を変更することの難しさ、また9月入学に変更する場合の費用、進行中の学年との接続といった課題解決が困難であることから、変更が見送られた経緯も明らかになった。本研究を通して、就学の始期のあり方を起点として、就学期間のあり方、上級学校との接続のあり方に、検討の余地が残されていたことが明らかになった。この点は今後、視野を臨時教育審議会(1984-1987)における秋季学年導入の議論と結びつけながら、発展させることを展望している。
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