研究課題/領域番号 |
17K04648
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研究機関 | 帝京科学大学 |
研究代表者 |
鈴木 貴史 帝京科学大学, 教職センター, 講師 (10588809)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 言葉 / 文字教育 / 幼小接続 / 小西信八 / 中村五六 |
研究実績の概要 |
昨年度まで取り組んできていた明治初期におけるフレーベル主義に基づく文字教育がいかにして継承または変質していくのかについて確認するため、今年度は、幼小の接続問題について、おもに明治20年代の言語領域における文字教育に着目した。その方法として、はじめにフレーベルの文字教育論について確認し、それが東京女子師範学校附属幼稚園(以下、「附属幼稚園」)をはじめとしてわが国に受容されてきたのかを辿った。その方法として、附属幼稚園における「読ミ方」、「書キ方」の導入から1891(明治24)年における削除に至る時期について、当時の主事であった小西信八や中村五六を中核に据えて保育理論書や雑誌記事を参照した。 わが国では明治10年代に恩物による文字教育から「読ミ方」「書キ方」における系統的な文字教育へ移行していた。その後、明治20年代に「読ミ方」、「書キ方」が保育科目から削除されたことにより、幼稚園における文字教育と小学校のそれとは明確に分離されることになった。明治20年代の幼小の接続問題の一つには、幼稚園での「読ミ方」「書キ方」において幼児の興味関心が軽視されたことにより、小学校以上の系統的な文字教育へ円滑に移行することができなかった点があった。 こうした研究成果を第72回日本保育学会で「明治20年代における幼小の接続問題」として発表を行った。また、学会誌である『保育学研究』にも投稿しており、次年度の掲載が決定している。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
明治初期からの幼稚園における文字教育に着目しておおよそ明治20年代までの状況を捉えることができている。しかしながら、明治20年代の状況確認に多くの時間を費やしたことから当初予定していた明治30年代の状況にまで踏み込めておらず、若干遅れている。
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今後の研究の推進方策 |
明治20年代までの状況を確認したことにより、幼稚園における文字教育の方向性がほぼ定まっていることがわかっているため、今後はこれがいかにして継承されていくのかを辿っていきたい。 とりわけ明治後半から大正期にかけて幼児教育における先導的立場にいた倉橋惣三や城戸幡太郎に着目していきたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
今年度は、近隣で可能な文献資料調査が多くなったため旅費が発生しなかったことが来年への繰り越し額が多くなったおもな理由である。次年度以降は、大正期の文献調査のため書籍(古書)等の購入に充てる予定である。
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