対話型鑑賞法が通常前提としているリテラシーとしての鑑賞観と鑑賞教育観に代わる「他者性の対話」を基底に持つ対話による鑑賞教育の必要性と可能性を、レヴィナスの他者論等の理論的検討とペアでの美術鑑賞実験による実証研究の両面から探った。 理論的検討からは、超越である〈他者〉との出会いと対話としての鑑賞と鑑賞教育の概念が明確化された。鑑賞することは、一般的にも学習指導要領においても、作品を感覚や感性で受け取るという受動性と、作品を理解しさらには価値評価する能動性の、主体と対象の往還を通した総合として捉えられている。実際は、感覚や感性といえどもノエシス-ノエマとしての意識の志向性による対象の構成であると考えられる。いずれにしろ、これまで鑑賞は、常に認識論の枠組みで考えられてきた。この認識である鑑賞は、同時にレヴィナスのいう「享受」というあり方に通じている。これは、作品を支配し「同」とする行為でもある。しかし、〈他者〉である作品と「私」の特別な関係という超越の倫理的次元があり、鑑賞教育はこのことを重視する必要があることが明らかになった。 実験による実証研究では、「他者性の対話」が生起する場合があることを確かめることが出来た。ペアでの対話の美術鑑賞実験の基本型は、中学生ペアで行い、最初に一つの作品をそれぞれが単独で鑑賞した後、今度は二人でさらに対話しながら作品鑑賞することである。これに作品の鑑賞者による選択、作者によるテキストを作品に付加、グループでの鑑賞、生徒と教師のペアによる鑑賞対話等の実験を行った。そして対話の中に、「他者性の対話」(ダーウォル「二人称的観点」)が含まれるかどうかを探った。ペア同士の対話は、どの場合も二人称的観点を含んだ他者の性格を持っていたものの、作品との対話(鑑賞)は、他者性の対話が行われる場合がある一方、作品を単なる対象物として見做す場合もあることが明らかになった。
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