量子力学的手法は今や分子設計、反応設計の強力な手段となっているが、エネルギープロフィールの平衡構造や遷移状態の停留点、あるいは固有反応座標に関する情報は与えてくれるものの、ダイナミックな情報は与えてくれない。どのようにして化学反応が始まり、どのようにエネルギー障壁を越えていくのか、といった問題は非常に興味深い。化学反応が起こる瞬間に何が起こっているのかは依然未知の問題と言える。これまで我々は、量子力学的(QMまたはONIOM)手法と分子動力学(MD)法を組み合わせて解析することによって動的因子が化学反応において重要であることを指摘してきた。また、溶媒効果についても、溶媒分子の熱揺らぎが反応の推進力を与えているという溶媒効果の新たな側面を見い出してきた。このように、化学反応は、エネルギー障壁の大きさばかりでなく動的因子を明らかにし、反応の推進力の大きさによっても議論されなければならない。本研究は、典型的な有機反応であるSN2反応をモデルに、QM-MD法やONIOM-MD法を用い化学反応を推進する動的因子の解析を目的として行った。 SN2反応として2-クロロブタンとOH-の反応を選択し、気相と水溶媒中でそれぞれQM-およびONIOM-MDシミュレーションを実行し、解析を行った。その結果、反応の直前に反応に関与する原子に運動エネルギーが集中し、それらの原子の速度ベクトルがあるパターンを満たしたときのみ基質はエネルギー障壁を登り始めることが分かった。また、エネルギー障壁を下り始めるのにもある速度ベクトルパターンを満たす必要がある。このように反応が起こるためには、反応に関与する原子の速度ベクトルパターンが重要であることを見い出した。また、水溶液中では、その速度ベクトルパターンが異なる。その理由は、水溶媒分子の基質への動的効果によって理解できた。
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