平坦な地形に立地する集落では、神社、お堂、墓地と居住域の位置関係は内包、近接である場合が多く、嘉島町では公園も集落ごとに整備され、各共同空間が震災後の再生を含め機能し、継承されていた。一方、山裾や台地に立地し傾斜地の集落では、墓地が離れた場所にあると消滅の傾向で、都市計画区域外であれば計画的な公園整備はなく、震災後、共同空間を介したつながりの継承が難しい状況もみられた。ただ、益城町広崎の神社再建と氏子組への取込み、南阿蘇村等の墓祭り継承、納骨堂組合等による墓地再建、お法使祭りにおける新たな会の設立など、集落としてのまとまりと再生に対し、共同空間を介した集団の存在が重要であることが確認できた。
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